…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

久々に私を妹にしてくれた夜道。

通夜の後、線香を絶やさない為に遺体に親族は付き添います。

それは大体が喪主以外の親族(比較的若い)が担うらしい。

実際は線香は長く持つもので交換は消えてしまった時だけだし、現在では  葬儀場にお願いして遺族が帰宅する場合もあります。

数年前の祖母の時も、叔父達はあっさり帰っていたし。

それを見て、寂しいものだなぁと思ったけれど、当時しーちゃんを身籠もっており 幼い子供もいた私は何も言いませんでした。

行動しない者に口出す権利はないですから。


母と弟は、夜通し父に付き添うつもりでいたようです。

もう今日で最後だし、父を一人にするのは忍びないと。

でも弟は喪主として大切な葬式を控えていますし、母も相当疲れている筈なので 二人には家で少しでも体を休めて欲しくて、私と姉で付き添いをする事にしました。

…と、言いましても特に何もする事もないんですけど。


母の姉達が遅がけに弔問に訪れてくれ 皆が引き上げたのが11時頃でした。

父の遺体はあるものの、控え室には お風呂も付いており、布団も頼んであったりで さながら合宿のようでした。

明日の朝食も含め何か買い出しに行こうかと、二人でコンビニに行く事に。

「お父さーん。ごめん、ちょっとコンビニ行ってくるわ〜。」

と、父に一応声をかけて。


夜の道を、二人だけで歩くのは多分20年以上振りでしょうか。 

姉が若くして結婚し、子供を産み。その後私も結婚し。


いつも母として振舞っていて、それが私の日常ですが 父を亡くした この数日が私を妹にしてくれました。

漫才のような掛け合い。

アイスティーを姉に奢って貰った事。(40歳を過ぎてるのに!(^_^;))

父や母の話に若干の悪口。

 

実は私はしばらく姉と連絡を絶っていたのです。

もちろん姉は仕事で普段から忙しい人でしたが、

私の夫が実家に押しかけ、私や子供達の発達障害宣言をしたり、父達への暴言、離婚を迫った話を母が 私が相談しやすいようにと(実際は自身が耐えきれずに)姉に話したのを知ったからでした。

本当はもう、数年にわたって色々な事があったのだけど 私は親にも、姉にも話しませんでした。

言えば、心配をするだろうから。

酷く心を痛めるだろうから。

分かっているからずっと、平気な振りをしていたのに。

大丈夫じゃない事を知られていての平気の振りは辛いものです…。

だから日常の忙しさを理由に、姉と連絡を絶っていたのでした。


姉は私の事情を知りつつ何も言いませんでした。

本当に一言も。私は生意気な妹のままでいられました。

深夜の道はただ、ただ楽しかったです。


コンビニから戻り、私がお風呂から出ると 姉は父の顔を覗き込んでいました。

涙ぐみながら、きっと父にお別れをしていたのだと思います。

何を話したのかは分かりません。


それでも、通夜でもなく 葬式の場でもなく あれが姉と父との二人だけの別れの時だったのだろうと私は思うのです。



ツッコミ所満載の葬儀で父を送る。

通夜と葬式については、遺族として来て下さった方に失礼のないよう必死で務めました。


ドラマでは 泣き崩れるお母さんや その遺族みたい姿を見かけるけど、実際はゆっくり悲しむ余裕も 時間も無いもんだなぁと言うのが正直な気持ちです。


それでも近所に住む、父の兄である叔父夫妻が取りまとめて下さったので随分助かりました。

叔父は葬儀を、叔母はお寺に詳しく全く分からない私達家族に助言をしてくれたのですが大変助かった反面、しばしば面倒な縛りも。


例えば 葬儀の打ち合わせにて、葬儀会社のおまかせにすると べらぼうな金額になると聞いていたので

「絶対に言いくるめられないぞ!」と心して挑んだ訳ですが、

いかんせん 葬儀の相場が分かりません。

基本は無難な?金額なのですが 多分オプションを付けて行くと 莫大な費用がかかると言うことなんでしょうね!


葬儀会社も執拗にではありませんがが、手順通りにアレコレと勧めてきます。

しかし「あ、これはいいです。」と叔父は見事にブロックしてくれました。

そして小声で私たちに

「こういう所は高いから必要以上に頼む事はない」と耳打ちしました。

その時は助かったのですが…


弔問客にお出しする簡単な食事等なども 叔父は同じ理由で断り、その場で自分が用意すると宣言していたのですが 通夜の1時間前になって

「おーい。弔問客の寿司20人前分買ってこいや。スーパーで頼んでこればいい。」って…。


え?え!

今から⁉️だって1時間後にはお通夜始まるよ。私たち出迎えないと。

もう夕方よ?

叔父さん用意するって言ったじゃーーん。

早くに言っておいてくれたら、昨日の内に予約頼んでおいたのに!


そうでした。叔父は地元では名士として通っており 頼もしいし、面倒見も良い人ですが大層な「ケチ」なんですよね。見栄っ張りで口が滑りやすく…

そして詰めが甘い(-。-; あぁ!


唖然としてしまいましたが、迷う時間もなく私と姉で近くのスーパーに行き、助六等を買い占めました。しかも2割り引きのシール付き。

(これしかなかったんですよ〜(T ^ T)

あって本当に良かったよ!喪服で割引の寿司を大量買い。結構目立ってた。)

パックにシール跡が残らなくて本当に良かったです。


叔母は我が家と違い、熱心な信者さんで お寺に詳しい代わりに しきたりに厳しく、県外に勤める弟の会社から贈られる花に待った!をかけ始めた。(これはダメとかあるらしいので。)

すったもんだの末、戴く物には こちらの都合(宗教)なのでと お寺から許可を頂いて収まりました。

本来ならそこまで厳しくないそうなんですけどね〜。


などなど。叔父達に取りまとめて貰い、有難いのだけれど 一つ一つ 確認がいると言う、逆に気を使う自体になってしまいました。

最後に御供え物を親族で分ける作業も、多分スタッフにお任せする事だと思われるのですが 料金が発生すると思ったのか 精進落としの食事中に叔父、姉、私でする事に。

やりますよ?そりゃ やりますが 慌ただしいので 手落ちが出て、終了後になって 大量の葬式饅頭が見つかったりね〜〜 ぎゃあ。


私も 叔父さんの性格を忘れていた訳ではないんですけどね。

叔父の真骨頂は「兄としての挨拶」でした。

我が家は親戚で共同経営している家業があり、祖父が起こした会社を 叔父と父で盛り立てて大きくしてきたのです。

父を語る時、私達家族も会社の話は欠かせないと思っています。

共に苦労した叔父は尚更だったのでしょうが…


挨拶の初っぱなから 会社の名前、連呼しすぎ!

会社の年収額はいらないから!

父を労う言葉も交えつつ、会社のストーリーを語らないでくれまいか!


通夜は叔父の独壇場でした。

聞いていて

「これって会社のパーティーだっけ??」と私、錯覚しましたもん。

もっと、こう…父の人となりに触れて欲しかったと言いますか。


姉も同じ事を思っていたらしく 

「叔父さんのいかん所だよねぇ。自分の事話したがるのは治らないもんだね。」と言っておりました。

後、やっぱり「叔父さん、相変わらずお金の話好きだね(⌒-⌒; )」と。


達が子供の頃からそうでした。

人って早々変わらないもんです。


それでも 無事葬儀は終わりましたし 母もこれからも叔父夫婦に助けて貰う事でしょう。

私も、家族も、親戚の方々に感謝しています。


何より父を見送る事を思い出す時 

涙にくれる事なく

「大変だったよね〜」と

家族みんなで、 あーだ、こーだと言えるツッコミ所満載の葬儀であったのは 私達のこれからの楽しみになると思います。

 

葬儀の正解は分かりませんし、ふざけている訳でもありません。

ただ、楽しい事の好きだった父なら

「あんた達、いいかげんにせんと〜

!」と笑って許してくれそうな気がするのです。

私の父なんで。

父と私、別れの時間

父の葬儀は 準備もあったので1日空けた8月1、2日に行う事になりました。

深夜に私は一旦家に帰り、朝 娘りーさんの弁当(夏休みだけど部活があった為)を無事作る事ができました。

夫は「弁当なんかどうにでもなるから。」

と言ってくれたけれど、母としての役目をきちんと終えてから 父の葬儀の準備をしたい。

つまらない私の意地でした。


慌ただしく実家に戻り、葬儀の段取りや決め事を次々と済ませ 母と弟は銀行や役場への届け出の為に動き 私は父に付き添う事を任されました。


父は葬儀会館でずっといました。

母は「お父さん、一人にしてごめんね〜。“なんだ、誰もおらんのか?”ってきっと呆れてるわ。」

なんて言っていましたが、悲しんでいられる余裕はありません。

限られた時間で出来る事をせねばです。 


こうなると葬儀は遺族の為と言うより 世間や周囲の為と言った方のが正しいのかもしれません。

それでも父がお世話になった周囲の方々に最後のお別れをちゃんと出来るように。それが私達、家族の仕事でした。


葬儀会館の一室は、先程の怒涛の打ち合わせ等とは打って変わり静寂に満ちていました。(と、言いたい所でしたが 葬儀ラッシュらしく割と賑やかでした(^_^;))

でも、この部屋には父と私の二人だけです。


顔にかけられていた布を取ってみると、父は穏やかな顔で眠っているようでした。

昨夜、安置室で見た父は苦しげではないけれど、口をポカンと開け、魂が抜けてしまったのが分かる表情だったのです。

「こと切れる」と言う表現は正しいな。そう漠然と感じていました。


だから 私は怖気付いてしまったのです。

幼い頃から何万回と見て来た、父の寝顔とは全然違う事に。

「父の死」に実感が湧かないのに、

本能で 絶対的な隔たりを感じ取ったのでした。

涙がだーだーと流れました。


父の髪を撫でても柔らかいんです。

手に触れても、ひんやりとしていますが柔らかいんです。

でも 父はここにいないのです。それをはっきり感じる。悲しいより、寂しかったのかもしれません。


棺の中の父は葬儀会館の方がちゃんと整えて下さったようで 口は閉じられ、いつもの父の顔でした。

本当に眠っているようなので、布が覆っているなんて「…お父さん、苦しくない?」と思い、外したままにしました。


あほですかね〜。亡くなっているのに。何だかね、いつもの父の寝顔で安心したのですよ。

「なんか、もう一度頑張ったら お父さん どうにかイケるんじゃないのか⁉️」

みたいな、変な希望を持ってしまう位に(家族みんな思ったらしい(^^;;))安らかな表情だったのです。


父の顔を見ながら ずっと話し掛けていました。

怒涛の打ち合わせの事。突然過ぎてびっくりした事。苦しかっただろう事。生きている間に孫に会わせられなかった事…。

それをごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝り続け 父の側にいました。


この時間は、私にとって必要な時間だったと思います。

安置室と この二人だけの時間が、本当の意味での父との別れだったと。

なぜならその後、今に至るまで 私は父の亡くなった実感が湧かず、悲しいとも思えず 泣く事が出来ないからです。

多分感情に蓋をしてしまっているんだろうな。

謝っても悔やんでも、どうにもならない事実が重すぎて。

悲しみが氷解するには 時間が必要なのでしょう。

その前に寂しいんだと自覚しないといけないのでしょうが。  

でも それは、まだ。








さよならお父さん

7月30日の夜、父が亡くなりました。

それは もう本当に突然の事でした。


その日の22時頃、私は子供たちと寝床にいました。末娘はすでに眠りについていましたが、上の二人は「何だか寝られない〜」なんて言って起きていた所でした。

スマホに珍しく姉からの着信が入ってきましたが、私は取りませんでした。 

気づいていたのに…取らなかったのです。

こんな夜遅くに電話で話していたら夫は不機嫌になるだろうな。

緊急の用事ならば固定電話にかかってくるだろうー。

そう思ったのです。

そしたら即座に固定電話にかかってきました。


あ…. これ、あかんやつだ。何かあったんだ。

すると、父が急に倒れて病院に運ばれたそうで 今 蘇生を試みて貰っているけれど、意識はなく 多分駄目らしいとの事でした。

姉も病院に向かう車中から連絡をしていると言う。


夫の勧めもあり、訳が分からないままタクシーで私も駆けつける事に。

その間 私は現実とは思えず ただ、ただ空を眺めながら

「…明日の りーさんのお弁当はどうしよう。作れるかな。ピーマンでも炒めようか。」

と ぼんやりと考えていました。


父は通院中の病気もあったけれど

命にかかわる病状ではなかったはずだ。

日中、草取りをした際に体調を崩したそうだから 熱中症になったのだろうか?

それならまだ… 助かるんじゃないの?

私は 取り乱す事もせず ただ、頭から父が危篤だと言う事実が締め出されたまま病院へと向かいました。



病院に着くと 母、姉、叔父叔母がいて 父が倒れた状況をぽつぽつと話していました。

「今朝まで元気だったんだよ。ご飯も ちゃんと食べてね…。」

「背中が痛いって言うから、ずっと摩っていたら 突然後ろに倒れて…。まさかこんな事に…。」

繰り返す言葉の最後は尻切れトンボで終わっていました。


私は こんな場所で 皆で話していていいの?お父さん一人にしていいの?お父さんにどうして会わせてくれないの?


状況が飲み込めない私は 疑問に思いながらも、話しだせる様子でもなかったので虚ろに話す母達の側でオロオロとするばかりでした。


私が想像していたのは、もう父の蘇生は難しいから 私と弟を待って 呼吸器を外す、そう思っていたのです。

だから まだ父は治療を施され生死を彷徨っていているのだと。

命は繋がれている筈だと。


「あの、お父さんに会いたいんだけど…。」遠慮がちに言うと 姉は思い出したように 遺体安置室に連れて行ってくれました。

私は思い違いをしていました。もう、父は意識が戻る事なく既に亡くなっていたのでした。


死因は心筋梗塞だそうです。

原因が分からないのでそうなったのですが、救急の方によると見た事がない程 心臓が破裂していたそうです。(蘇生中にレントゲンで分かったそうです。)

側についていた母の為に、救命士さんは懸命に長く蘇生を施してくれたそうです。でも、駄目だったと。


持病とは関係無く、家族も本人も

思いもよらない死因でした。

苦しかっただろう筈の父の表情は、

割と穏やかでした。

それだけが…娘としては救いでした。


思ってもみませんでした。

夫に両親と子供たちを会わせる事も嫌がられ、実家からの電話は固定電話を避けて いつもスマホでした。暴言を受けても我慢してくれた父です。

こんな40歳を越えた娘の騒動に巻き込まれ、親不孝真っ最中だったのに。


ごめんなさい。ごめんなさい。

子供達に会わせられなくてごめん。

生きている内に会わせられなくて

ごめんなさい。

謝罪の言葉は、空に居る父に届くのでしょうか。



私も1人のサバイバー

前回引きこもりの子供に対し「サバイバー」と私は表現しましたが、本当は生きている人は皆、すべからず 

今を生き抜いてきたサバイバーだと思っています。


ですが私があえて彼等を「サバイバー」と言ったのは

「苦しい中から何かを選択をして、捨てると決断しなければ これからを生きて行けないと感じた」人に対して非常に当てはまる表現だなと思ったからです。

そして、私もその決断をした一人だったからです。


私は発達障がいの一つADHD(注意欠陥・多動性障害)だと思われます。

(診断を受けてはいませんが、それについてはまたの機会にお話をするとしますね。)

今までを振り返ると 私も やはり子供の頃から生きづらさを感じてきました。

時はベビーブーム真っ盛り。その頃は「発達障がい」は、殆ど世間では知られて無かったと思います。


ADHDの特性には、

忘れ物が多い。不器用、集中力に欠ける。片付けが苦手、衝動性や不用意な発言など多数ありますが これらは私の性格によるものだと母は思っているようでした。

何度言っても直らない。

人の話を聞いておらず、とぼけている子だ。

母に取って私は「何を考えているのか分からない」大変扱いにくい子供だったと思います。


ですが私も やっぱり辛かったですよ。

しつけだと言いつつ何処か 私を訝しみながら、否定される訳ですから 幼い頃から不安感とか疎外感を強く感じていました。

発達障がいの特性など知らない親に取って私の言動や態度は 他の子たちとは違っていたので

「あんたは捻くれて可愛げがない。」と口癖の様に言われていました。

その内「あぁ、どうせ私は捻くれ者ですよ。」と当てつけるような態度をわざと取っていました。 

そして更に事態は拗れて行く…悪循環のループですね。


本当は悲しかったのです。

「勝手」と思われる行動は相手に対する気遣いからによるものなのに、親には頭ごなしに叱られましたから。

なぜ、裏にある自分の考えや思いを聞いてくれないのか…といつも思っていました。


実家は自営業をしていたので、母親は特に世間体を気にしていました。

親戚たちと一緒に働く嫁の立場だったので仕方ないのでしょうが 

「それでは世間に笑われる。親が笑われる」

と言い続ける母親を私には味方とは思えませんでした。

思い返しても

「そのままのあなたでいい。あなたは素晴らしい。」そう褒めてくれる事は無かったかな。


良く言われた「やれば出来るのに」は、何故やろうとしないのか⁉️やる気がないのは怠け者と言われてるのと同じですからね。

他の人と「同じ様に」やりたくてもやれないのが発達障がいの特性なんです。


人様に迷惑をかけない「普通」を押し付ける母も、意思とは関係なくはみ出てしまう自分も嫌でした。

波風を立たせたくない親からは信用されず、私も親を信用しなくなりました。

否定され続けていると自分を嫌いになる。気持ちも荒む。

自己肯定感を持ちにくい、この状態を「二次障害」と言うのだと最近になって知りました。


思春期に差し掛かった私は 悩み抜きました。

そして「 親を諦める」と言う選択しました。

自己を守る為から自然と選んだ答えだったかもしれません。

親に期待をしない、分かって貰わなくてもいいと決めた瞬間が確かに私にはありました。


その後、親にはあまり相談をする事なく 自分の事は自分で決めてきました。学生だったので進路だけは多少しましたけど。ほぼ事後報告のみ。

(今思えば、親としても 何も立ち入らせないこんな娘しんどかったと思います。(^_^;))


バイトに明け暮れ、家にあまり居着かず反抗的な態度は続いていましたが それでも私はまだラッキーだったと思います。

周囲の友達や恋人などが

「もー。しょうがないなぁ。」と、

ちょっとダメな所そのままで、私の良さを認めてくれたのです。


そのおかげで 人に頼る事、信じる事を諦めずにいられました。

そして自分の事も「今の自分でもいいんじゃないか?」と思えるようになったのです。


その後就職し、勤務地の移動に伴い、私は一人暮らしをする事にしました。 

大人になり親との衝突は減りましたが  距離を取りたいと思ったのが正直な気持ちでした。

成長し、大人になっても親にとっては私は「 いつまでたってもダメな子」のままでしたから。


親を嫌いではありませんでした。

ただ私たちは親子だけど「適切な距離が必要な親子」だと思ったのです。

この時も 親は単に 好き勝手したいが為に、一人暮らしを選択したと思っているようでした。

引きこもりをするサバイバーが「家」を安全な基地としているように、私は「外の世界」に拠り所を求めようとしたのです。


どちらに取っても それは、それで

キツい居場所です。

自分以外の意思に強く影響され 実に不安定な基地だからです。

多分 心の拠り所=基地は本当の「自分の心」に持っている方がよっぽど安全だと言う事。


ずっと続いて行くんですよね。

あなたも、私も。きっと。

この世界をサバイブ。




サバイバーは二種類いる

暑いです。何しなくても汗がダラダラでますね〜。


先日中学校の学年懇談会があり、その後ママ友とお茶をしました。

三人のママ友には 皆さん、今年中学三年生のお子さんがいて 今回の三者懇談では希望する高校を視野に入れた話をしなければ…と仰しゃっていました。

(1学期なのに進路を大体でも決めるの⁉️早くない?この時点で 私ブルブル…。)


三年生にもなれば 周囲も受験を意識してきて、本人も頑張らなければと自覚するものの 春から行事が続いて 疲れが出始めるこの時期。

最近少しナーバスになったりと親としても心配だそうです。

「拗らせると不登校になったりね…。」とママ友。


今の お子さんのクラスに不登校の子は二人程いるそう。

一人は 名前だけ知っていて 顔を見た事はなく、もう一人は そのお子さん曰く

「明るい不登校児だよ‼️」だとか。

明るいんだ〜(^_^;)


すると もう一人のママさんの親戚のお子さんが、まさに「明るい不登校児」だと言う。

不登校と言うとイメージとしては

子供は部屋に引きこもっており、親も心配のあまりガミガミ言うか、もしくは腫れ物を扱うかの如く触れずに沈黙したりする感じなのですが

そちらのご家庭は皆さん明るく、学校にも無理には行かせようとはしないそうです。

農家を営んでいるお祖父さんは学校を休んでいる孫に向かって

「暇なら手伝え!」と農作業をやらせたりしているそう。

ママ友やその家族が遊びに行っても

明るく出迎えてくれ ワイワイ食卓も囲むと。

友達の出入りもあるし、学校に行かない以外問題ないとの事。


その話を聞いて「あー、その不登校なら 私はアリかな。」と答えました。

他のママさんも同意でした。


もちろん、不登校自体を良い悪いで判断している訳ではありません。

自分にとって学校が辛いと思ったのだから離れたのでしょう。

それは きっと大きな決断で必要な事だったはずです。


ですが私が上記の「明るい不登校」に対して「アリ」と言ったのは 

私は我が子に「自分で生きていく力をつける」を最終目的に育てているので その観点からして言うと 

彼(男の子なので)は活躍の場が学校じゃないだけで、生きて行くに関してまずまず大丈夫だろうねって意味。


部屋で一日中ずっとゲームに明け暮れ、食事を親がドア前に運んで行っている場合、話し合うまでに随分時間がかかるだろうなと思います。

親としては…辛いでしょうね。

何をしてあげられるのか分からない。

何をしてあげる事が正解なのかも分からない。


好きでこの状況になった訳でもないし、時にはお子さん自身が 学校を休む事に対し「自分でも理由が分からない」場合さえある。

私にとっても全くの他人事ではないです。明日、起きることかもしれないのですから。

他のママさんもやはり同じ気持ちだと思います。


病気などが原因でなく、成人してからも家に引きこもるなどを別として

ですが、

違った見方をすると そこの子供さんは親を信頼しているのかな?と私には思えるのです。

「自分を守ってくれる。」

「ここ(家)は安心出来る場所」

そう思うからこそ、家に籠るのかと。

安全じゃない場所に、人は身を置きませんから。


ちなみに私は 昔、家を出ましたから。

否定される事なくいられる場所に行きたいと思いまして。


「安全」と感じる家に居続けるか。

外にそれを求めるのか。

正解はないのでしょうが、ただ私が思うのは

サバイバーは二種類いるって事ですね。


王様は裸に気付かない。Part②

私の知る小狡い子の親御さんの

多くは 意外と気さくで 社交性もある方が多いです。そして「自分なりの考えをはっきり持っている」方が多いようです。

常識があり、しつけに厳しい一面も持っています。

なので納得さえして貰えれば きちんと自分の子供を叱るだろうし 解決しそうなものなのです。

実際、学校が介入した場合でのトラブルでは 親御さんもすぐ動いて早く解決します。


ですが小狡い子の特徴として

「親が怖いので問題の発覚を恐れ、巧妙に隠す」を挙げましたが 

そもそも彼等の問題行動は仲の良い友達の中で行われており、先生に見つからないから面倒なのです。

見つからなければら「問題」と認識されませんから。


そして、親にトラブルそのものを知らされない点も問題の根深さでもあります。

子供だけでなく「親」そのものが厄介な相手だと言う事です。


彼らは絶対に親に知られたくないので隠そうと必死です。

理由は親から厳しく叱られるから。


私としては「良くない事をしたら叱る」は 有りだと思うのですが  多分その叱り方が理不尽なのだろうと思います。

<子供の言い分を聞かずに いきなり怒る(叱るではない)>


私が 数年前に、小狡いと呼ばれる子を親御さんが叱る場面に出喰わし、大変驚いた事がありました。

思いかえすと、もしかしたら今の状況は成るべくして成ったのかもしれません。


公園で ドッジボールをして遊んでいた子供たちの元に友達K君の弟がやって来ました。

弟くんは遊びたかったのですが、幼いので入れて貰えませんでした。

拗ねた弟君はボールを横取りすると、公園外の道路に向かって投げてしまいました。

K君は怒り、弟を突き飛ばし泣かせてしまった所 それに気付いたK君の親御さんは駆け寄って来て

「あんた、何泣かせてるの‼️」と言い放ち、バチーーン!と頰を張りました。


側にいた私たち大人もビックリしましたよ。え‼️そりゃないんじゃない?って。

親御さんはK君が弟君を泣かせてしまった経緯を知らないようでした。

今のはどちらかと言うと弟君の方が良くなかった。まず、叱る前にK君から話を聞くべきだったと思います。


叩かれ泣いてるK君の心中を察した、ある友達ママが

「ねぇ、叱る前にK君から話を聞いてあげたら?ちゃんと理由あったんだと思うよ。」と親御さんに口添えをしたのですが その場はうやむやに終わり 騒ぎは収まりました。


でも軽く諭したママさんが帰ると、あの親御さんが文句を言い始めたのです。

「何、あの人!人の家の事に口出して来て。本当にムカつく!余計なお世話だわ。もう関わりたくない。」

と、公園にいるママをつかまえては言いまくっていました。

あの親御さんは一体何に腹を立てたのでしょう⁉️

しつけにおいてのマイルールを他人に無責任に乱されたと感じたのでしょうか。

後々に、他の場所で湾曲された話で 諭した友達ママが悪く言われていたのを耳にしました。


あの場にいた誰もが親御さんの行動に引いていたのが分かったし、捻じ曲げられた友達ママの話とセットで「真相」も知られ始めてから「あの親御さんは怒らせると面倒くさい。」と周囲からも認識されてしまいました。


その後 彼女の子供に関する悪い話を知らせる人はいなくなりました。

仲良しママが周囲にいてもです。

「うちの子が 何か悪さしたら言ってね‼️」

と親御さんに笑顔で言われても

「K君は大丈夫でしょ〜」と皆お茶を濁しています。

だって、まともに聞いてくれないですもん。

逆にモンスターペアレント扱いをする人に、善意から忠告をしようなんて勇者はいません。


そして元々ちょっと気の強いK君は、大人の注意も聞かなくなり 今や立派に「小狡い子」になりました。色々とやらかしていますが親が事実を知る事はありません。


K君も抑圧されたストレスから お友達に対し 横暴な態度をするのかもしれません。

でも どこかでこのやり方を変えないと 大事な友達は去ってしまうかもしれない。


今のK君も含め、親御さんたちには共通点があるように思えます。

「他者の話を聞かない事。」

つまり自分に不都合な、耳の痛い話を聞き入れない事です。

「聞き入れたら負け」と言わんばかり頑なさがあります。

例え聞いたとしても「はいはい。でも、うちはこうなんで‼️」と拒絶してしまうのです。


自分の考えをしっかり持っているのは素晴らしい事です。

でも、他者の意見を聞き入れる余地はあってもいいのかなと思います。

そこで迷いが生じるのは誰でも不安になるけど、悪くなるばっかりではないはずですよね?

省みて その都度バージョンアップして行けばいいんですよね。

それは親も同じだと私は思うんですが。


周囲の保護者は決して「敵」ばかりではありません。

トラブルでなくても「最近元気がない」「今日喧嘩したみたいだけど、大丈夫?」と子供の情報を教えてくれる大事なルートだと思っています。


良い事も、悪い事もちゃんと伝えてくれる様に普段から お付き合いして行かないとね。

高学年にもなれば、聞きたくない話ほど子供は親には話さなくなります。

学校内で起きる「問題」は先生が仲裁してくれますが 水面下で起きてる

「問題」ほど追い込むものはないですからね。


「小狡い」はどの時代にも、世代にもいます。今でも続いていて避けてるはずの私ですら、漏れなくザワザワさせられてしまいます。

あなたの周りにもいませんか〜〜⁉️