…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

地団駄を踏むって、結局は一歩も進んでない。

地団駄を踏むって言葉、ありますよね。

人が悔しがったり、思い通りにならなかったり、ごねる時に足を踏み鳴らす行為なんですけれども。


我が家では、昔は子供が癇癪を起こしてはダンダン!と踏み鳴らしたものです。

ADHD気質が色濃く出てた息子が泣き喚きながら(^_^;)


夢中になっている事を中断させられたり、姉から仕掛けた喧嘩で、理不尽にも叩かれたりした時に起きていましたね。

あの頃の息子は自分の気持ちのやり場がなくて、周囲にある物や地面に打つけるした手立てがなかったと思うのです。


思い返すと、息子は八つ当たりはしつつも地団駄を踏む事はしなくなりました。

六年生になった今では殆ど見ませんからね。

私は息子の“自然”な成長だと勝手に解釈していたのですが、それだけではなかったのかもしれません。


発達障害の方は成長するにつれて

一部の特性が目立たなくなる事があります。


全ての人に共通する事ですが人は経験し、失敗をする事で次に活かす為に知恵を授かります。


ADHDの特性を持つ私もですが 大人になるにつれて

「上手くは出来ないけど、何とか失敗せずに済むような方法」

が身に付きました。

小さなつまずきはあるものの、大きなしくじりにはならないと言う事です。

つまり経験値ですね。


不得意が分かると得意な事も分かってきます。

“苦手”を避けて通れない場合もあるけど、時にはゆるやかに回避を選択

すればいいと判断するのです。

その際に自分が出来る、やり易い方法がないかを考える。

それは知恵です。


こんな具合に年齢を経て、経験や工夫が出来るようになる事を単純に成長と呼ぶのでしょうけど、我が子のみならず何かしらの特性を持つ子供たちは「ほっといていても」自然に

身についていた、とは行かないんじゃないかな。


ADHDの症状が軽度だったからでは??と言われるかもしれませんが

先生や親など周囲の適切な声かけや

アドバイス、話し合いなどがあってこそ 定着した力だと思うのです。


それこそ、懇々とね。

「もー毎日、お母さん言ってるよね❗️(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾」

と言える位、私は子供達に口を酸っぱくして伝えてきました。

多分どこのお母さんもそうでしょうけど。


それでも仕出かすのですよ。言ったそばから我が家の子供達は…。

のれんに腕押し。糠に釘。

それ位、響かないものです。


ですが改めて思えば、成長の裏には周囲の人間の注意や声かけだけでなく 数えきれない程の失敗と、それを『恥ずかしい』と本人が感じた事とセットになっていたのでしょう。


出来るようになった事=失敗の数

なのかもしれませんね。


今の息子が地団駄を踏まなくなったのは多分、対処方を学んだからでしょう。

遊びを中断させれ、先に宿題をしなさいと言われた時は、文句を言いつつも実行できるようになりました。(始めるのは恐ろしく遅いんですけどね…) 

姉から仕掛けた理不尽な言い掛かりには きちんと反論し、応酬できるようになりました。


悔しくて、やりきれない気持ちを地面にぶつけなくても、何とかやり過ごす力を身に付けたんでしょうね。


地団駄はあんなに足をバタつかせても、実は一歩も進んでいないんですよね。

息子は 地面を憎々しげに踏みしめ、 やりきれない気持ちを紛らわすのを止めて歩き始めたんだと思います。


今の私こそ ただただ

「悔しい、悔しい。」

と嘆きながら地団駄を踏みならしているだけなんだな、と思います。


地団駄は実は一歩も進んでいない。


私も歩き出さないとな。

今の私には「たられば」は要らない。

我が家は相変わらずです。

夫婦間は硬直状態な上に、子供達は思春期に差し掛かっていて家庭環境

が落ち着かない不満を私に打つける日々。

まぁ 父である夫に言えない分、私に集中砲火されるのは分かるちゃあ分かるんですけどね。

(父への文句を私に言ってどうしろと言うの〜??(;_;))

でも、やっぱり子供から責められる のってキツいです。


こーんな鬱々とした状況下にあって私は自身に起きたこの事態に対して「たられば」的に考えた事がそう言えばないなぁと思いました。


《たられば》

もし「〜だったら」「〜していれば」

と事実とは無関係な仮定して後悔する事。


何故こんな事をふと考えたかと言いますと、私は時々不安になると 有益な情報はないものかと狂った様に「子連 れ離婚   迷う」などのキーードで検索をする癖があるのですがもー出るわ、出るわ❗️ 離婚関連の

びただしい数のサイトがヒットするのです。

そして世の中には

「離婚をした方がいいものか」

と本当にたくさんの方が悩んでいる

んだな〜と改めて驚くのです。


現実的に離婚後の生活を見据えて悩んでいる方がいる中でが変わってくれる事をひたすら望み、嘆いても一定数いるのに気付きました 。


時間の経過と共に上手く収まって行く場合もあるとは思うのですが、構切迫した事態であるにもかかわず、相手(旦那さん)の改心を待って大丈夫なの〜?(・・;)って心配になケースが多々あるんですよね。


以前参加したセミナーのグループトークでもやはり同じ様な方が数人いらっしゃいまして アルコール・ギャンブル・借金・モラハラ・浮気と家庭内での問題は違うのですが 皆さん一様に

“夫が変わってくれたら状況は好転するはずなんです❗️”

とおっしゃるのです。

 

辛い毎日を過ごしている事を、時折涙を流しながら切々と語りながらも彼女たちは いつか夫は変わる、変わってくれるはずと信じているのです

それだけでなく

「私は夫を変える事を諦めない。」

と仰しゃった方もいました。



こう言ったセリフを聞く度に私は思ってしまうんですけど…

旦那さんの過ちが《一回こっきり》

ならもしかすると修正が効くかもし

れませんが 、数回に及んでいる場合

この先 「変わる」事はかなり難しいんじゃないのかな、と。

場合によっては、奥さんだけでなく

医師や弁護士、団体などのサポート

が必要なのかもしれません。


何より『変わらなければ駄目だ』と言う強い意志が本人になければどうしようもない。


簡単な事を言えば、ダイエットが 中々成功しないのは 運動や食事制限など 普段の生活を変えるのが大変だ

からですよね?


誰でもない自分自身を変える事だって難しいのに、奥さんが他人である旦那さんを変えるなんて事を本当に出来ると思っているのかな、と不思議に思いました。


そもそも この

「相手さえ変わってくれたら上手く行く」

と言う願いこそが 根拠のない“たられば”だと思うのですがね。


相手の乱心のみがこのトラブルを生んだのでなければ、今は収まったとしてめこれから先また違うトラブルが起こるのではないのかと思うのです。


それにね。

奥さんが辛く擦り減る様な毎日を送りながら頑張っているのに、解決策が旦那さんの改心頼みかと思うと、私は何だかやるせなくなります。


じゃあ離婚で!と簡単に思えないの夫婦だから。家族だから。

私も葛藤中だから良く分かります。


私が自分の家庭において「たられば」を考えないのは、

単に人(自分)はそんなに簡単に変われない、他人(強固意志を持つ夫)を変える事は更に難しい。

と分かっているからなだけです。後は… 悲しくなるからでしょうか。


私だって何でも支え合える夫婦でいたかった!


子供の成長や問題について、共に考

えていけたら!


私の実家に夫が押しかけて暴言吐かなかったら!


…って考え出したら止まりません。そして それは今更言っても仕方ない事だって思い知って虚しいだけ。


あぁ、でも本当は「たられば」は 私のように離婚へ踏み切れない人の心を守る為の防衛策なのかもしれませんね。


だけど皮肉なもので 今の自分を支えてくれているのは「たられば」ではなく、私の場合 三人の子供たちとの酷な毎日なんだと思います。


頼りになるのは たらればの甘い言葉より、いばらの道なんですかね。









深海魚を買って、仕事について考えてみた

昨日近所のスーパーに買い物に行きました。

玉子70円を狙ってはりきって早朝に(^_^)


我が家ではこの月半ばが家計で一番苦しい時期で、私の頭の中は

「いかに支出を少なくするか、節約できるか。」

で、一杯な訳です。

それなのに行けば買い過ぎる…。

メモ通りでは済まないのが悲しい〜

(あぁ、現実)


買い物をしていると、鮮魚の方から朗らかな声かけをしている方がいました。

30〜40代くらいの男性店員さんがお客であるおばさまに魚について説明をしていたのでした。

「あ〜 これね、珍しいでしょ?

“トウジン”って言うんですよ。深海魚ですね。変わってるでしょ。

こう言った“目玉が異様にギョロッとしているのは 深海魚の特徴ですよね〜」


どうやら近海で獲れた「トウジン」と言う名の魚をおすすめしているようです。

簡単な説明をしますと、このトウジンは タラの仲間のソコダラの事でした。(海の底に生息している事からこの名前が付いたそうです。)

尖った鼻先を持ち、目玉が大きな魚で顔は大きいものの 身は細身です。

見たまんまのTHE深海魚。


こちらのスーパーでは、飲食店向けのいわゆる業務用向けの食材も扱っているお店なのです。

メガサイズのマヨネーズや串カツなどもありますし、クリスマス時期でもないのに鶏の丸焼きが常備しているお店は中々ありませんよ!

(ま、あっても今の時期は買いませんけどね。(*´∀`*))


そして野菜や鮮魚も おしゃれな、と言うよりは地域で取り組んだ新しい品種や近海で取れた見慣れない魚が時々並ぶ、面白いお店なのです。

一緒に来ると生き物好きな息子は魚売り場の前を動きません。

「お母さーん。蟹買おうよ!生きてるよ!600円でお買い得だよ!」

なんて口説きにかかってきますが

食べるんじゃなくて、奴の狙いは

“飼育する”ですからね❗️

レジでお金を払っている最中でも

カニ買おうよ。カニかわいいじゃん。育てられるって。お母さんはケチ過ぎる!」

と隣で唸り続ける息子。

…と、まぁ 中々お目にかかれない魚を取り扱っている お店なのです。


トウジンについて店員さんは

「煮付けにするといいですよ。」

と調理法についても話していましたが、後で調べてみると刺身でも フライにしても味は大変美味しいとの事だそうです。


しかし見た目が変わっているのと、顔が大きい割に身体は細く 食べる部分が少なそうからか、おばさまは残念ながら購入には至らず、笑顔で去っていきました。

店員さんもしつこくせず、笑顔で

「またお願いしまーす❗️」

と 声をかけていました。


見慣れなく、一見奇妙な魚を興味だけて購入するのは勇気がいりますものね!

私が「トウジン」と聞いて、ふと立ち止まったのも どこぞで耳にした事のある名前だったから。



「あぁ〜どうしよう。」

私はここから悩み始めました。

価格は一匹200円程度。決して高くはありません。

ですが、この時期の出費は痛い…。

そして“どーやって調理すんのよ⁉️”

が、大きな問題です。

先ほどのおばさまも これが一つの壁になったのかもしれませんね。


慣れない食材をどうしたらいいのか? 

これ、お料理をされる方は結構切実な問題だと私は思うのですけど、どうでしょう。

そりゃ、ネットが普及されていますから クックパッドなどで 調べるのは簡単な事ですけれど 実際に調理するまでに行くには 殆どの人は躊躇すると思うんです。


調べるのは指先一つで出来ても、下準備や調理は倍の時間と手間を要する… 食べるだけの方は そこの所を意識して欲しい!!


さんざん悩んだ挙句トウジンを購入する事にしました。

食育〜、教育〜と深く考えなくても

これくらいなら私にも出来る!と思ったからです。


さて。どうせなら良い奴を、と選ぶ段階になって トウジンの身体を覆う鱗がかなり硬いと気づきました。

「うわ〜〜 かなり手強いわぁ。何 この鱗?骨も硬いのかなぁ。」

ビビる私。


そこで一応 魚の下ろし方を聞いておこうと思いまして、店員さんに声をかけました。

私としては 朗らかに深海魚を勧めていた店員さんに伺いたかったのですが(チーフぽかった)

手が空いておらず、来てくれのは初老のおじさん。


この方がね、まー 何とも適当な方でしてね。

調理法を聞いても

「煮付けですかね〜。ポップにも書いてあるでしょ?」とか

鱗について聞いても

「バーッと取っちゃえば大丈夫ですって。」

下ろし方でも

「腹(内臓)出して、後はまぁ適当にですかね。」

と、おざなりな説明で売る気はあるのかと思うくらいでした。

一瞬やめようかと思いましたもの。


食べる以前に、私としては息子に

「観察させる」つもりで購入するので 形の良いものを選んでいるのですが おじさんに

「どれでも同じですって!」「ほら、同じ形でしょ。」

と 繰り返されました。


お腹が潰れたもの、歪んでいるのもいましたし、魚を大切に扱い さほど時間もかかっていないのに、です。

「子供に見せたいんです。」

と伝えても 上記のような発言を繰り返された訳です。


このおじさまと接していて

「なんで こんな発言するのかな?年齢は関係ないな、性格だなー。」

と思いました。

私の実家は自営業で昔気質の職人さんをたくさん見てきましたが、それとも違う。

売る相手の事も、扱っている物も見ていないよなと言う感じでした。


「煮付けもいいけど、フライも美味しいですよ!」

「身が少ないから ぶつ切りでも大丈夫ですよ。」

「いい奴選んで行って!」

同じ内容であっても言葉一つで印象がまるで違うはずです。

ましてや、その魚は深海魚で あまり知られていない魚です。

置いておけば誰もが手にとって買う代物ではありません。

口下手で構わないのです。

ただ、手間を惜しむと相手に伝わっちゃうんですよとおじさんに対して心の中で呟きました。

「どうせ買うのなら、さっきの店員さんから買いたかったよ…。」

それが正直な気持ちでした。


私は昔、接客業を長くしていました。

そのせいで多少厳しい見方をするのかもしれませんが、職種に限らず仕事をする上で大切なのは その人の得意な事、良さを生かす事だと思うのですよね。


どうせ同じ仕事をするなら、の後に続くのが

「早く」「多く」「丁寧に」「気持ちよく」

と、色々な言葉=行動が当てはまると思うのですが、それこそが その人の

良さであり引いては“売り”になると思うのです。

そう言った事を考えないと

「あなたとを仕事したい。」と思われないし

「あなたは要らない」になったりもする。

今やかなりの仕事をAIにも取られちゃいそうな時代ですからね。

専業主婦の私が言うのもなんですが

私の売りを見つけないと、って思います。


そんな風に思いつつ スーパーを後にしました。


帰宅した息子は

「おぉっ。ソコダラ!」

と言い当て喜んで写真を撮っていました。

子供達の笑顔が見られて良いとします。(^。^)

後は調理です。一体どうしようかなぁ⁇


二本の手では足りないんです。

無事夏休みが終わりましたね。

今年は最後に土日もあって、少しだけお休みが長くなり得した〜❗️と喜ぶ我が家の子供達。

ようやく新学期が始まったと思っていたら二日目にして台風21号の到来

により休校になってしまいました。

おいおーーい❗️母は心の中で叫びましたね…。(T . T)


毎年夏休み明けの9月1、または始業式は子供の自殺が多いと聞きます。

とりわけ今年は夏休みの終わりにテレビや新聞でも“自殺防止キャンペーン”と題し、様々な記事や番組が見受けられました。

それだけ近年悲しいニュースが長い休みの後に多く起きていた事が伺えます。


いじめや人間関係で躓きがある子には、休息出来ていた長い休みが終わり また地獄の様な日常が始まる事に

深い絶望を感じてしまうのでしょう

本音を言えば、何かに脅かされている者には 長い休みであっても 心を囚われているものを忘れる事なんて出来ないと思います。

それでも 少しだけ“問題”と距離を置ける時間を持つ事は心に休息をもたらすのです。

夏休みが終わる。そしてまた、日常が始まる。


「終わりは、始まり。」

すごく怖いですよね。私は怖いです

大人であっても例えば会社内で辛い方が「仕事を辞めよう」と決断するまでに相当の覚悟と時間が必要なように、そこから逃げ出すのは簡単な事ではないでしょう。

ましてや学生さんなら尚更ですよね


以前図書館の職員の方が

「学校に行きたくないのなら図書館においで。」

SNSでメッセージを発信した事がありましたね。

世間ではその行動に大して賛否両論の意見が飛び交い 随分話題になりました。

「救われた」「逃げてどうする」

「ただの甘やかしだ」「良く言ってくれた」

私は そのメッセージをどちらかと言えば肯定的に受け取っている側なのですが、否定する側の意見にも どこか頷く自分がいるんですよね。


それでも命がなくなった後に 何を言おうが、何をしようが もう遅い。

それだけは事実です。


「逃げてもいいんだよ。」

本来は 身近な親が、教師が伝えてあげなければいけない大切な言葉を 

ネット上の見知らぬ誰かがかけてくれた。

それで切れかけていた糸がもし辛うじて繋がったのなら 本当に良かった

。これだけは言えます。



私は不甲斐ない親なので、自分の子供に大切な言葉を伝えてくれるのが母の私じゃなくても構わないと常々思っています。


もちろん出来得る限りは頑張るけれども、親の言うことが全て正しいとは思わないし、大切な事があなた達に伝わるなら 「それが誰か」は特に問題ではないとお母さんは思っている。

SNSでもいい、本でもいい。友達のお母さんでも、先生でも、小スポのコーチでもいい。


…と我が家の子供達には言っています。

都合良い、甘い言葉に対してではなく生きて行く上での指針の事です。


親の威厳〜とか、プライド〜とか

確かに私にも少しはあるのですけど

私は人の手を借りまくってでも 子供を育てようと思っています。

私の二本の手だけでは、子供三人の手を繋ぐには足りませんから❗️

ね。








転ばぬ先のマナーとは。

先日我が家に電話がかかってきました。

「はい、tanakaでございます。」

と、私が取りますと かなりの間が空いて

「…しーちゃん(次女)、いますか?」

と可愛らしい女の子の声が呟きました。

「どちら様ですか?」

こちらの問いかけに、またしばらくの沈黙の後

「…ミソラです。」

消え入るような声の主が名乗りました。

相手は次女のお友達です。


四年生の次女に電話がかかって来る事はあまりありません。あっても二、三人って所でしょうか。

それに 普段良く遊ぶお友達を大体把握しているので 

“電話の声の主”が誰なのかを私はもちろん分かっています。


なのに自分の子供と同じ年齢の幼い女の子に対して、意地悪をしてるように、私がわざと「察する」事をせずに相手を確かめるなどの段取りを踏むのは、それが電話をかける際のマナーだと思っているからです。


ミソラちゃんは決して引っ込み思案な大人しい子ではありません。

明るくて会えば元気に挨拶をしてくれる、どちらかと言えば活発な女の子です。

そんなミソラちゃんですが、電話の時にはこちら困ってしまうような受け答えになってしまいます。

それでも知り合った一年程前に比べれば随分変わってきたんですけれどね。( ̄▽ ̄)


次女が三年生に進級した頃から お友達と約束をして子供だけで外遊びをするようになりました。

今までは外遊びについては親が行き帰りだけ付き添ったり、公園等では

離れた場所にいたりと 付かず離れずの距離で対応していたのです。


外遊びについては、早い子は幼稚園児から一人で公園に来るお友達もいましたし 各々の家庭の考えで構わないと思いますが 私達の住む地域は 不審者情報が絶えず、次女の成長を見合わせていたと言ったところでしょうか。


子供の遊びの約束に関しては 六年生になった息子でも未だにトラブルがある位、厄介なものです。

決め方が曖昧と言いますか、行き当たりばったりと言いますか…

「行けたら、行く。」みたいにかなりアバウトな約束をして

"何時までに集合場所に行けなければ

、今日は遊べないと思って欲しい”

などの取り決めをして来ないから 待ちぼうけを喰らったりしています。

まぁ その場に居合わせた友達と混ざったりする時もありますけどね。


そんな時こそ「電話」の出番だと思うのですが特に男子には若干この「お家に電話をかける」が面倒でありハードルが高いそうです。

お友達の、他人のお宅に電話をかけるのは子供にとって相当高度なミッションなのは想像がつきますよね(^_^;)


電話番号を間違えないように。

電話が通じたら何て言おう。


普段電話をかけ慣れていない子供にとっては大変緊張する行為に違いありません!


それに比べてミソラちゃんは電話の取り扱いには慣れているそうでした

。入学当時からスマホを与えられていたからです。

ミソラちゃんのお母さんはお仕事をされているようなので、互いに連絡が取りやすいようにと言う事かもしれません。

連絡先も一度登録してしまえば、番号をかけ間違える事もありませんし

便利だとも思います。


でも、多分…。

ミソラちゃんのお母さんはスマホは渡しても娘に「電話のかけ方」については伝えていなかったのかな??と思いました。


初めて我が家にミソラちゃんから電話がかかって来た時(当時三年生ですね) やはり私が電話口に出ました。

「はい。tanakaでございます。」

と応えると、長い沈黙がありました

「どなたですか?」

と聞いても返事がありません。 

いたずらかな。切ろうかと思った時

「…しーちゃん、いますか?」と

小さな声がしました。

「え、と。しーですか?しーのお友達かな? お名前は?」

私は努めて優しく聞きましたが それ以上返答がなく次女を呼び代わりました。


今日は遊べるのかとの確認の電話でした。

そう言えば次女から連絡先を交換して良いかと聞かれたな、と電話が終わった後になって思い出しました。

メモに書かれたミソラちゃんの番号は携帯電話の番号で、おや。と思ったものです。


その後も電話がかかって来る事はありましたが、しばらくは名乗りはありませんでした。


私はどちらかと言いますと、うるさ型の世話好きなおばちゃんをしています。

その子を知っている、知らないに関わらず困っている所に居合わせれば

なるべく手助けをしようと思っています。

でも 他所様の子供さんにしつけやマナーを伝えようとは思いません。

家庭での考え方は本当にそれぞれですし、私の仕事ではないからです。


だから今回も「あれ?」と思っても 注意を促したりしませんでした。

正直どう親御さんに取られるか分かりませんからね。


スマホは「ドアからドアへ」と言った言わば直通の扉みたいなものです

。それは本当に便利な物で、最初は家族のみで使われていたんだろうなと思います。

家族なら少しぐらい礼儀を欠いても支障はありませんし、相手にちゃんと通じているかと心配する必要もありません。

もしかしたら ミソラちゃんのご両親は 電話を受け取る相手であるばかりで娘さんと他者との電話でのやり取りを聞く機会があまりないのかもしれませんね。

便利が故に 家の電話より身近な存在ですから。


こう言った、相手の反応でもって知る経験って成長すればするほど出てきますね。

昔の、スマホやらポケベル(懐かしい〜( ´ ▽ ` ))が無かった頃は、家の電話しかなくて 彼や彼女のお家にかけるには 時間や礼儀を守らなければ 取り次いで貰えませんでした。

親からの承認がなければお付き合いそのものが危ぶまれた時代は 今から思えば自然とマナーが育まれていたんでしょうかね??


ちなみに我が家では 子供達が幼稚園に入った頃に練習と称して、祖父母に良く電話をかけさせました。

電話番号の押し方、受け答え方を紙に書いたりして。

それこそ少しくらい間違っても失礼のない良い相手ですし、孫からの電話❗️と喜んで貰えます。

それからステップアップとして、誕生日が近付くと 本人以外のきょうだいにケーキをお店に注文させました

最初の内は紙に必要な事(名乗り、要件、日時や連絡先、ローソクの数やネームプレートについて)を書いて読み上げるだけでしたが 、数回こなすと出来るようになります。

お店が混まない時間帯であること、

子供が困ったらすぐ代われるように

側でやり取りを聞いている事を心がけました。


これで電話の恐怖心はかなりなくなったはず!

…なんですが、それでも お友達のお家に電話をかけるのは毎回緊張するそうです。

息子はかける前に何度も出だしの台詞を繰り返しております。(^◇^;)


マナーも場数を踏まないと分からない事多いですもんね❗️


スマホとマナーは別問題であるとは思います。

ただ今の時代、電話と言うとスマホを思い浮かべてしまうのは私だけじゃないはず。

子供がいると尚更ではないでしょうか?

。“スマホを持つ”と言いますとLINEやサイト閲覧などの問題が昨今話題に上りますが、電話のかけ方についても子供に伝えるべき大事な事なんじゃないかなぁと思います。





あなたには頼めない、の理由。

ある日友人からメールが着ました。

件名には「怪我しちゃったよ〜( ;  ; )❗️」とあり、添付された画像には包帯で巻かれた痛々しい左手が写っています。


「え!事故か何か?Σ(・□・;)」

と心配しましたが、友人が不要になった棚を解体する際にドライバーで手を傷付けてしまったのだと分かりました。

軽症で済んでホッとしましたが、続くメールを読んで「気持ち、分かるな。」と思いました。


この友人も旦那さんとすれ違いがあり、数年不仲の状態が続いています

。家に居ずらいのか、旦那さんは仕事が忙しいのを理由によく不在がちだそうです。

まだ幼い子供に対しても 関心がなくなった様に感じ、相談が出来なくなってしまったとか。

今では連絡事項のみをメールで伝える位だそうです。


今回の怪我の原因になった棚は 元々子供の玩具入れに使用していた物だそうです。

子供が成長し使わなくなった玩具を整理し、 ファンシーなこの棚を棄て 現在の子供に合う物に買い替えようと思ったとか。

棄てる際に困ったのはこの棚をどう処分するかだったそうです。


私達の住む地域ですと、棚などは“大型不燃物”として扱われます。

ゴミセンターに連絡し、住所や廃棄する物を告げて家まで収集に来て貰うのです。

処理券を近くの店で購入して指定の日時に出しに行く…と、まぁ 少し面倒ではあるんですね。


しかもマンションの8階に住む友人は

わざわざ下のゴミ置き場にこの棚を置きに行くのが大変だと考えたそうです。


こう言った収納物は意外と軽い素材で出来ているのですが、いかんせん

大きくてかさばるんですよね!


友人も

「持てない重さではないんだけどね

〜。その上、連絡してわざわざ処理券買いに行く手間も面倒だしなぁって。(^◇^;)」

そうだ、ネジなどを外して 板をまとめれば不燃袋に入りそう。

よし、通常の不燃ゴミに出しちゃおう❗️

と考えたそうです。

で、解体中にうっかりドライバーで手を傷付けてしまったそうな(-。-;



メールで怪我の顛末を知った私は

「何で旦那さんに“手伝って”と頼まなかったの?」

とは聞きませんでした。

友人は言えなかったんだろうな、と思ったからです。


解体や棚を下に運ぶのも、力のある旦那さんに頼んだ方が友人がするより簡単だったのかもしれません。


怪我の具合も気になり電話をかけると

「やっちゃったよー」

と明るく嘆く友人。

改めて先程の質問をすると

「旦那に頼もうなんて思わなかったよ。むしろ、あの人には頼めないとすら思っている。」

と言われました。


友人も私も日常で困った時には もちろん誰かの助けを得て生活をしています。

その際に、頼る「優先順位」があるのです。


*近くの友人、ママ友

*親

*外注サービス

                           …… などです。

で、最後の方で夫な訳ですよ。


私達の生活では 一人の頑張りではどうにも立ち行かない事が沢山あります。

買い物やら子供や自身の病気やら、習い事の送迎やら、学校からの突然の呼び出しやら本当にあります。

例を挙げればきりがなく、助けて欲しい事や困った事だらけです。


そこにあって、「頼る優先順位」は逆に返せば「頼みやすさ」や親密さになると思います。

信頼と言ってもいいでしょう。

これが根底になければ押し付け合いになり兼ねですし、相手に任す事など出来ませんからね。


夫婦で協力して子供や家庭を維持しているお家は お互いを信頼して助け合っているのですよね??



私や友人は「夫に頼むより、サービス(出せる範囲の金額であれば)の方が気が楽だよね?」

と自嘲気味に話しました。


曲がりなりにも家族であって、助けて欲しいと思う用件が二人の子供に関する事であっても 頼むのに躊躇する関係って『どうなんだろう?』私がそう感じたように、友人もまた感じていると思います。

それは

「信頼できる相手ではない」と言う事と 「相手を信じる事が出来ない自分」だと虚しさを改めて思い知るのだと言う事ででもあるのです。


友人は続けました。

「私が甘え下手なのもあるとは思うけど。もしね、私がうちの旦那に“棚を下に持って行ってくれない?”と頼むとするじゃん。そうすると後からまた、ちくちく文句言われるんだろうなぁと思うと気が重くって。」

今回のシチュエーションを使って説明しますと、こう言う事です。


妻(私の友人)が旦那さんに棚を下のゴミ置場に棄てて欲しいと頼んだとする。

 思いの他、重かったり大変な作業になった場合、その怒りや不満の矛先は何故か「頼んだ妻」に向かうのだと。


棚だからある程度の大きさなのは当たり前だし、購入時にたまたま選んだのが妻だったとの理由で

「何であんな棚にしたんだよ!棄てる事まで考えて買うべきなんだよ!

お前はいつも考えが足りないんだよ。」

と、その後長い間ブツブツと文句を言われるから嫌なんだそうです。


妻からの「大変だったでしょう。ありがとう。」と労いと感謝の言葉を口にすれば 

「あ〜 重かったよ❗️(旦那談)」とは終わらずに

「当たり前だろ。本当に重かったよ

!はぁーぁ、普通だったら こう言うのは妻が…ブツブツ…」


大変アピールからの、妻否定に転じる。この過程は我が家もよくあります。

すっごく鬱陶しい。

精神的に重くのしかかるパターンです。

こんな思いをする位なら、私だったら棚引きずってでも持って行く方を選びます。


こう言う、怒りや不満をこじ付けに近い形で奥さんや家族に打つける旦那さんの話を実は結構耳にするんです。

夏休みの今の時期だと渋滞とかね。

「お前の化粧(実際は家族の用意や家事)が遅いから 渋滞にかかったんだ!イライラ〜」

渋滞よりあなたの態度の方がよっぽどイラつくよ❗️❗️


不足の事態へのイライラの落とし所を自分以外の誰かにするのってモラハラする人の共通なんですかね?

でも 幾ら家族とは言え、そんな当たり散らす人と関わりたくないのが本音ですよね。


私も目下、頼み下手で可愛気のない頑固な妻を爆走中です。

「話し合いを。」が出来れば苦労しない

数年ぶりに他県に引っ越した昔からの友人と会いました。

時々メールなどでお互いの近況を伝え合ってはいましたが、我が家の状況については まだ話していませんでした。

まぁ 正直、話しずらかったんですよね…。


昔からの友人なので、知られて恥ずかしい気持ちはありませんでしたが

親しい友人が「夫との不仲」で悩んでる事自体が聞いて愉快いな話ではないでしょうし、

話す事で少しは気持ちが楽になると言う反面、友人と別れて帰路に着く頃に

「あぁ、愚痴ばかりで悪かったなぁぁ。(T ^ T)」

と変に落ち込んでみたり、精神的に負担を強いられている生活である事を改めて思い知らされたりして 何だか凹むんですよね〜。


で、当然ながら私に起こった事実を知った友人は例外なく引いてしまいます。

大概絶句されますね…。

成人女性(男性でもかな?)なら引くような話がてんこ盛りだからです(^_^;)


そこで心配したみんなに言われるのが

「旦那さんとしっかり話し合った方がいいよ❗️」

と言う台詞です。


これ、ほんっとに難しい…。


何故かと言うとまともに話し合いが出来ないから こんな状況になっているからです。

私の別の友人で離婚経験者がいるのですが、彼女も良くそんな事を言っていました。

「話し合えって言うけど、そもそも相手とまともに話し合う事が出来ないから困ってるんだって。

お互いの言い分がどこまても平行線

だから離婚に至る訳でさ❗️」

なるほど、その気持ちが痛い程分かります…。


我が家は現在、夫婦間では会話をあまりしません。

夫が今 どう考えているのは分かりませんが、私としては夫と距離を置く事で何とか生活を維持している状態なんですね。


時として人格否定をする夫と不要な会話をして わざわざつっこまれる様な材料を提供したくない、と感じています。

話す事自体ちょっと緊張しますもん。

たまに吃ったりしてしまいます。


そして、長女も同じようように夫と会話をしたがりません。

「どうせお父さんの子供の頃と比べられる。」

と、言い学校での話を夫の耳に入れるのを極端に嫌がります。

思春期である事を差し引いてもやはり気になります。


ちなみに現在 私達夫婦は 天気などの雑談はします。

これでも出来るようになったんですよ❓

親から「口から生まれた子」と言われる位お喋りな私が “頑張って”会話している、もしくは子供を通して会話していると言う状況が非常事態な訳です。

喧嘩が良いとは言いませんが、お互いの不満や意見を交合える場だと考えるなら 立て直しを図るには良い機会になり得るのかもしれません。


でも私はもう、そう思えないんですよね。

『じっくり話し合いを』

そんな機会が設けたとしたら 一気に離婚の話に進んじゃいそうな気もして…。

この生活が辛く、しんどいと思っているのに、心の何処で離婚話を「怖い」と感じているなんて、私もどうかしていますね。