…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

好きは 武器にも支えにもなる。

先日息子の興味がある生き物の野外調査のワークショップに参加してきました。

我が家は子供達が興味を持ちそうな

、もしくは面白いんじゃないかと感じた企画に幼い頃から積極的に参加をしています。


親だけでは考えつかないような体験を子供達にさせられる良い機会だと思っていて 日々 広報やパンフレット、施設に貼ってあるポスターなどにも目を配るようにしています。

探していると、企業主催の取り組みや地域や自治体の活動など野外での企画や歴史などに纏わるもの、図書館での読み聞かせなど 多種多様で実に幅の広い体験の多くが安い代金で、もしくは無料でも受ける事が出来るのです❗️

うーん。素晴らしい!!

(それは同時にレジャーを安く済ませよう、と言う魂胆も私にはあったりしますが… (*´꒳`*) )


休日の過ごし方として以外に こういった催しに積極的に参加している理由は、子供の興味がどこに向かうのかは親でも分からないからでもあるんですよね。

体験や機会を得て子供の何か(興味)

が発動するきっかけになればと期待もしているのです。


単純に好き、嫌いは小学生にもなれば 自分でも多少分かって来ているとは思います。

息子の場合 生き物好きだから理科は得意、そして音楽は苦手。みたいに教科ひとつにしても得意、不得意が分かってくる。

まぁ 息子は興味のベクトルが突出しているタイプなので 興味を持てる分野が分かりやすいのですが…

ここまではっきりするまでは まんべんなく講座やワークショップを網羅してきました。


しいて言うなら親として知りたいのは好き、嫌いの向こう側です。

①好きだけど苦手な事

②好きで尚且つ得意な事

③あまり好きじゃないけど得意な事

④あまり好きでもないし、苦手な事


これは本人の「強みを生かす」と言う観点からすれば

①②③を選んで伸ばせていけたらいいですよね。

もっと言えば②の「好きで得意」を意識して伸びて行ければ何よりです。

④は少なくともやっていて当人も楽しくないでしょうから。


多分 こう言った自己分析は中高生になれば学校指導の元で行なうだろうと思います。

あえて意識していなくても、進学や 就職を考えたりする時に誰もが自然と自分にとって“得意な物” “興味を持てそうな分野”を選ぶのと同じだと思います。

*余談ですが仕事に関しては「好きだけど苦手」よりも「あまり好きじゃないけど得意」を選んだ方が上手く行くんじゃないかな??と思います。


自己分析が出来る年齢と言う事は、客観的に自分を見れるようになってきたという事ですもんね。

自分の興味や得手不得手を把握しつつ、周囲を経由して流行りや興味の対象も大分変わり価値観も複雑になって来ているでしょう。

親からのアクションはむしろ邪魔になるでしょうね〜


中学生に上がった長女は部活を理由にしてこう言ったワークショップ等の参加を拒否しています。

なので資料を見せたり、食事時にさらっとその日の内容を伝えるようにはしています。

その他には、本や映画など良さそうな物は 長女の興味の持てそうな範疇であれば勧めてみたり位ですね。

うるさがれない程度に留めておくと


そして小学生組の長男と次女はまだまだ模索中です。

特に次女はもう少し色々な事に興味を持って欲しいなと思っています。

日常の会話から「好き」キーワドを拾って本や番組などを投げかけてみるも いまいち引っかからない様子

(−_−;)


幼い頃から姉と兄向けの講座やワークショップに数多く連れて行っても 

「疲れたぁ」と離れた椅子に座っている事もしばしば…。(-。-;

しかも内容が全く頭に入ってない。


次女はむしろ好みがはっきりしているので そこを起点にして講座などを選んで行く方向が良いのかもしれませんが…。

選択肢を増やしてやりたいと思うのは親の押し付けかもと考えたりしつつ、やはり難しいですね!


先ほどお話したように、年齢と経験と共に興味の対象も価値観もどんどん変貌を遂げ 子供自身の世界を持って行くのは当然です。

それ自体はすごく喜ばしいと思うのですが、時折その中に自分の思い以外にも“他人の目”だとか、“流行り”

が付随してしまって本質が見えなくなってしまう事があったりすると思うのです。


他人や常識を基準にして選択をしてしまうと、その内にズレが生じてくるんじゃないかな。

「望んでいた事(のはず)なのに どうもしっくりこない。」

「なんだか楽しくない。」


何が自分にとって楽しいと思えるのか、続けて行くのに苦だと思わないのかを改めて考えて行くと 自然と

余計な物が落ちて、最後に残るのもが 本当に単純で素直に

「面白い、楽しい、好き❗️」

といつか感じたものになるんだろうなと。


その「核」が分かれば後はどのように枝葉を伸ばすかは本人に任せようと思っています。


自分の世界を持ち始めている長女と長男を見ていて、私としては 親がそれとなく促すには もうそろそろタイムリミットが見えてきているかな。と思い始めています。

あの世界には「親」は立ち入り禁止でしょうから❗️


私は まだ幼い子供達の負担にならない程度にそれが掴めるような機会になれば幸い、位の軽い気持ちでいます。

親の指導で「何者か」にしよう

なんて気はさらさらありませんから。


「好き」は心を躍らせてくれます。


「好き」はその先の道を作ってくれる一つのツールです。


「好き」はその人を表すキーワドにもなる事だってあるかもしれない。 


「好き」を大切にすると自分も大切に出来るんじゃないでしょうか。


もう単に、

自己肯定感が低い我が家の子供達に

自信をつけて貰いたい。

親としてはそんな願いもあります。


いつか子供が成長した時に「好き」故に悩む事があってもそこには きっと伸びた経験や知識や思考で持って

本人がその都度答えを出して行けばいい。


武器にも、支えにもなる。

やはり好きは強いです。




自覚からスタートして分かること。

私の住む地域でも梅雨入りし、毎日不安定なお天気が続いています。

そして晴れ間になると気温がカーッと上昇し 暑くなるのもしんどいですね!

蒸し暑さでみんなイライラモードになっているせいか喧嘩の多いこと❗️

そして不快な湿度とともに悩ましいのは我が家の長女の言動と態度です。


こちらでも書いているように、長女は中二で反抗期真っ盛り。

それでなくとも気質や特性故なのか共感性に乏しく思った事をすぐ口にしてしまいます。

元々語気が強いものだから、考えなしの発言のダメージたるや まさに“口撃”そのもの。 

もっと同じ意味合いの、優しい表現や例えがあるでしょーよ❗️と言った感じ。

そしてよく分からない長女独自の勝手な「自分ルール(こだわり)」があり うっかりそれらに触れると怒り出すので家族は辟易させられています。


長女の場合、元から持っている要素に期間限定の反抗期が加味されて更に拗らせていると言った方が良いのかもしれません。

その理不尽な苛つきに「厨二病」を上乗せした暴言と態度に家族はいつも巻きこまれているのです。

本人も正体の見えない不安やムカつきに しんどい思いをしているのでしょうが、雨が降り出したから窓を閉めに 姉の部屋に入っただけで怒鳴られては弟たちも納得出来ないでしょう。

そんな発言、態度を巡って連日 長女に注意をしているので本当に家の空気は悪いものです。

家族が一堂に集まるのは食事時なので、下手したら朝イチから 夫が叱り出すとかもあり雰囲気の悪さって言ったら そりゃあもう…(T . T)


私が把握している分には こんな長女の横柄な態度も今のところ家庭内で収まっているようです。

多少の言葉のキツさは友人関係でも出ているようですが、トラブルまでには発展しておらず 至って良好らしい。

(理由はお友達もサッパリした性格な子が多いからだと思います。)

しかも家庭では俺様キャラ位の理不尽娘ですが、学校では 先生方の信頼も厚い優等生タイプなのです!

委員長も務めるしっかり者。 

空気読むのが苦手な(はず)なのに、学校では人をまとめているって(-。-;


それはグレーの子でも年齢や経験を積む事によって気になる特性がカバーされる事が多いに関係があると考えられます。

ADHDの子が幼い頃に顕著であった衝動性が 高学年になると落ち着いてくる場合もあるように、社会性を身につけ 普段の生活で言動や態度にも意識を向ける事が出来てくるのです。(必ずしも、みんながそうなるとは限りません。)


色々とありつつも、長女が経験から得た社会性でもって 周囲と関係を上手く築いていることを引っくるめて私は成長だと喜ばしく思っています 。


しかし、現在 目立ったトラブルがないからと言って私が安心していられないのは むしろこれから人間関係が複雑になって行くだろうからです。

これには発達障害云々と関係はなく

ただ単純に年齢と共に人との距離がより近くなり、関わりが親密になる時期だからと言う事。


私が常に長女に話している事がありまして、それは

「家族に対してのあなたの態度は

転じて、これから親しくなる相手に対する態度になるから注意してね。

と言う戒めです。

つまり ある意味気を使わないですむ家族に対する横柄な態度こそが 長女本来の「素の自分」であると言う事です。

いがみ合っても、仲直りして再構築して行ける関係だから 我が儘も甘える事も通用してるいるのだよ、ということです。


現在の我が家が不安定な環境であったとしても、そこには親子の絆も 愛情もちゃんとあればこそ 長女も甘えて あんなに堂々と反発しているのだと思います。(そう思いたい!)


私が諭す度に長女は馬鹿にしたように

「私だってこんな態度を友達に対してする訳ないじゃん!上手くやってるってば。」

(酷い態度って自覚あるんだ!(◎_◎;)

)

などと言うのですが、すかさず

「今まではあなたと長く過ごしていたのは家族だったけど、これからは

友達や恋人と多くの時間を共にする事になる。

より親密になり、甘えたり甘えられたりする関係になる。

自分が気を許せる相手だからこそ、

愛情も怒りもぶつけやすいんだよ。

“親しき仲にも礼儀あり”を心に留めておいてね。」

と 伝えています。


長女も家族以外では辛辣な発言や態度をある程度自制しているからこそ

、学校生活に支障がない訳でしょうが 親しい間柄では感情を抑制するのは本当に難しいものです。

それを意識していると、いないとでは大きな違いがあるのではないかと 私は思います。



それは、私自身がそうであったからです。

私は昔から この梅雨時期が苦手です。

湿気や室温の変化が関係しているのか体調が怠くなり イライラしやすくなるのです。

そして神経が過敏になり ちょっとした事にも落ち込みやすくなるので 精神的にも不安定になります。

人とのトラブル(主に家族でしたが)が起こりやすいのもこの時期です。


高校を卒業する頃には 自分の癖を客観視できるようになってきたので、

恋人や親しい友人には

「申し訳ないけど、私はこの時期が苦手で些細な事でイライラしてしまう。

嫌な思いをさせてしまうのは 心苦しいので必要最低限しか関わらない様にするけど心配しないでね。どうぞよろしく。」

と 親密な関係になってきたら断りを入れます。

しんどい時には会話や付き合い、連絡などを断つ事もあります。

自分に負担をかけないよう、人を不快にさせないよう自分なりに考えた

末の対処方でした。

(*精神的にかなり落ち込んだ時も 

同様の対処をします。)


こんな話をすると当初こそ相手も驚きますが、軽い諍いがあり 少し距離を置いた私が そののち次第に落ち付きを取り戻して普段と変わらなく接する事になると、 何となく事の次第を理解して貰えるようになりました

それでも 私がこの期間を「抜けた」後には必ず 相手に謝罪しましたし、

普段からの“関係”が良好であるから許されているものだとも分かっています。

だから 仲良くしたいと思っている相手には誠実に付き合うようにして

自分がその人の為に頑張れる時には動いて「弱い」と自覚している部分では 相手に助けて貰う様にしていたのです。

何の努力もなしに「許されて当然」はただの甘えだからです。

むやみやたらに不機嫌な相手を受け入れてくれる程 世間は寛容でもなくそんな義務もありません。


そしてこれはあくまでも私の努力の成果ではないんですよね。周囲の人間が出来ていただけで。

だって 私みたいな人、面倒くさいですもん(^_^;)

あえて言うなら私は伝える努力をし、周囲の人達に甘えられる環境を作り上げていく努力をしていただけです。


それは「弱さ・苦手」を意識、自覚する所からスタートしているのです。


梅雨時期には妙に「堕ちる」私でしたが、職場や知り合いには無意識の内に不具合さを出していませんでしたね。

ちょっと元気ない?不機嫌?な印象で済んでいました。

だから 迷惑するのはやっぱり親しい人達なんですよ〜。


大好きで、自分にとって大切な人なのに嫌な思いをさせてしまう。

距離や気を遣わない関係である事が仇となる、では悲しいです。

 

長女には 少しだけそこを分かって欲しい。

私が親だからこそできる助言ですから…。


余談ですが 長女にはお付き合いを意識する方が出来たら、親(母親)の扱いを見とくといいよ。とも伝えています 。

若いから軽口はいいとしても、目の前や人前でも親をぞんざいに扱う人は 得てして恋人にも同じ事をするようだからね。と。

逆にママ大好きなのも程度によるけどね!(;゜0゜)


大人になり自分から周囲の人達に「自己申告」をしてやり過ごす様になってから この時期でのトラブル自体が自然と減って行きました。

私の周囲の人達なおかげもあるだろうけど、煮詰まる前にどうすれば良いかが自分自身で分かる様になったからです。


そして不思議な事に、出産してから

あれ程困っていた、梅雨時期の感情制御不能はなくなりました。

「わー!堕ちてる場合じゃない、夕飯作らにゃ〜❗️❗️」

って所でしょうか。

守るものが出来たら母はやっぱり自分の不安も感情すらも後回しにするのでしょうかね??


う〜〜ん。

家族って、子供って本当に不思議!










やってられない、と思いました。

小学生組が食卓にて宿題をやっていた夕方。

どうやら六年生の息子は虫の居所が悪かったようです。

私と次女が話していると「ちょっと静かにして❗️」と注意してきました。

「あぁ、ごめん。ごめん。」

と答えたものの、その後も次女から明日の予定を聞かれ話していると

息子から「うるさいって❗️」と怒鳴られました。そして続けて

「黙れ❗️」と妹に言い放ちました。


私は 話し声が大きくて迷惑かけたなら悪かったけど、そのいい方はないんじゃない?

妹だからって「黙れ」なんて言うもんじゃないよ!と息子を叱りました

すると向こうも怯まず

「静かにしてって言ってるのに、喋っているお母さん達の方が悪いんだろ?

そうやって うるさいからみんなに嫌われるんだって❗️」

と 言い放ちました。


私は

「みんなって…。あんた(息子)や

お姉ちゃん、しー(次女)って事?」

その時 息子は「そうだよ!」みたいな返答をしたかと思います。

そこらへんは覚えていません。


側で聞いていた次女の顔色が咄嗟に変わったのが分かりました。

「お兄ちゃんがお母さんに酷い事を言ってる。どうしよう。」

と慌てたのでしょう。

私は嫌ってない…と次女の消え入るような声が聞こえてきました。


私は オロオロする次女と、決まり悪そうな息子に構わず話すのをやめ食事の支度に取りかかりました。

黙々と。淡々と。

その姿を見て 子供二人は 多分お母さんが怒っているとか悲しんでいると感じたのでしょうが本当の所は違っていました。


私は力が抜けていました。

正直、怒りや悲しみは湧いてきませんでした。

「嫌われている」と言う言葉はショックではありますが 上の二人(中二、小六)は反抗期や思春期ど真ん中ですからね。

そりゃ嫌われてますって。

きっと私の居ない時に文句や悪口も言われているんだろーなーと自分でも思っています。 

それが普通だろうし、仕方の無い事だと。


ですが、私が「みんなに嫌われてる

」と息子に言われた時に、思わず思い浮かべたのは子供以外にもいたのです。

夫と子供会の役員ママでした。

夫は言わずもがなですが 役員ママは

私が父の死後 まだ家が落ち着いていないので家を空けられない事を理由に、一緒にやる筈だった今年の子供会の役員を断ったのですが、 何がどう伝わったのか急に避けられる様になってしまったのです。

それは本当にいきなりでした。

考えて考えて“やらない”決断をして

メールや説明をしたのですが何故か怒りを買ってしまったようです。

役員を断わった事以外に避けられるような理由が思い当たりません。

ママさんとは仲が良かっただけに

困惑するばかりでした。


断った本当の理由は 「私が役員をする為に今、家を留守にすれば面白くない夫が子供に当たるだろう。」

だったのです。

でも そんな事、例え仲が良くてもご近所さんに話せる訳がないですよね

…。(聞いてもドン引きされるでしょうし(-。-; )


“あぁ、私はみーんなに嫌われてんだなぁ。”

って思いました。

それでも夫やママの事は置いといても、子供にも嫌われているのはね。

「やってられないな。」と思います 。


息子のあの発言は、ただ単に腹立ち紛れに咄嗟に出ただけなのは私にも分かっているのです。

半分本気で、半分は大袈裟。

だから私は怒りも悲しみも湧いてこなかったのです。


ただ呆れたと言うか、虚しい、やるせない気持ちにはなりました。


私が夫のルールに則って生活をしているのは子供の為でした。

細かすぎる取り決め。次々に足されて行く課題。私達には そこにはまる事が大変難しい「普通」と言う名の枠組み…。

本来なら夫に向かうべきだった不満や疑問をぶつけられるのが母である私だったからです。


「お父さんに言ってもどうせ無駄。聞いてくれる訳がない。」

悲しいかな、それは本当です。

おかしいと思う事をおかしいと言う

母である私にぶつけなければ子供はしんどいのでしょう。

分かっていても子供の理不尽な怒りを受けるのは かなり辛い。

それが思春期や反抗期からだろうと

不安定な環境からだろうと、同じです。


私が必死の思いで維持しているこの生活は一体誰の為で、何の為なのか。

子供達が嫌っているこの生活を本当に私が望んでいるのだとあの子達は思っているのだろうか。


この不安定な中 子供達と私は助け合って、向き合って来たと思います。

だから何とかやってこれたんだとも思うのです。

でも今、向き合えば互いにぶつかり合い、傷つけ合うばかり。

少し お母さん疲れました。


今 分かって貰わなくてもいい。

私を労ってくれなくても構わないから、子供達のパンチの当たらない距離で 今はいたい。

そう思っています。










終わった母の日に少しだけ心配が残る。

今年、2018年の母の日が終わりました。

結婚して子供に恵まれても「母の日

」と聞いて 母=私(一応三児の母なので)が感謝される対象だと思った事は正直ありませんでした。

子供達は幼稚園でイベントでも、卒園後にも毎年「お母さん いつも美味しいご飯ありがとう❗️」と手紙や小さなプレゼントなどをくれたりもし、私も子供の気持ちを嬉しく思います。


ですが私にとって 子供達のお世話や家事は日常であり、母としての喜びを感じるポイントが実際は別にあって「母の日だから感謝されて」ではない…って感じでしょうか⁉️

強いて言えば 子供が今まで出来なかった事が出来た、

私やきょうだいが落ちこんだ時にそっと気遣いをしてくれた時などに

「あ、こんなに成長してくれていたのね…。」

などに対して親としての驚きと喜びを私はしみじみ感じるという事です

。まぁ 私が母として祝いを受けるのが 何だか照れ臭いと言うのもあるのかもしれませんね(*^_^*)


それにどちらかと言うと

「母の日」と聞くと私は二人の母の事を思ってしまうのです。

私の母と義母です。

娘歴の長さもありますし、嫁として

外してはならない行事でもあると肝に命じております。

なんせ「“母に”感謝を表す日」ですから‼️


世間一般ではお店でも、ネットでも熱心に「母の日フェア」が繰り広げられていますが、私の近辺で話を聞くと意外にも義母に特に何もしない人が多いようでした。

私が母の日のお祝いを悩んでいると

「良くやるね。いいお嫁さんしているね!」みたいな反応をされる事があります。


それは改めてするまでもないって事なのか

「新婚当時ならともかく今更ね。」と言う理由からなのでしょうか?

 嫁姑の関係性も各家庭に違うのでそれも一概には言えませんね。

祝わない事が娘や嫁として良くないものでもありませんし。

普段から感謝を伝えていれば問題は無いはずですからね。


ただ私は 結婚する以前から、親の誕生日や祖母への敬老のお祝いを欠かしませんでした。

多分元々そう言った行事が好きなタイプなだけでしょう。

そして簡単に言えば 記念日を祝うのは人間関係を円滑にする為の「ちょっとした潤滑油」になるとも考えています。

ですので、義母には必ず母の日は気持ちとして何かしらの贈り物をするよう心がけています。

必ず「夫から」の体で。


義母としては息子である夫がわざわざ親である自分にこんな贈り物をする性格かどうかなんて、分かっているのでしょうが それでも喜んで下さっているようです。

発案者が夫であろうが、私であろうがなんてどちらでもいい話です。

夫婦として感謝している気持ちが伝えられたら それで良いですからね。


もう一つ大事にしているのは、実の母より義母を優先すると言う点です

。これは母からの教えです。

「私よりも夫のお母さんを大事にしなさい。そうしてくれる方が嬉しいよ。」

自分の親を大事にして欲しければ、相手の親を大事にする事。

母の教えを守ってこれまで義母には接してきました。

その言葉の通り数年前では 夫は私の親を本当に大切にしてくれていました。

両親は「うちは婿に恵まれた‼️」と周囲に婿自慢をしていたものでした

その後自慢の娘婿が乱心するとは全く思わず…。

結果 夫が一方的に断絶してしまい 家庭で実家の話題すら出来ない今に至るわけですが。(~_~;) 

それでもこんな状況にあっても、ちょっとした贈り物をする度に

「向こうの義母さんには先に送ったでしょうね?順番を間違えたら駄目だよ。」

と今でも母は確認するのです。

あぁ…。


私は夫が親と揉めた時から この母の日を含む行事に対し、深く思い悩む様になってしまいました。

自分が夫の親を大切にしても それはいつも当然の事で、私の親は元から存在すらしていなかったような扱いをされているからです。

(旅行でのお土産すら無し!)

到底納得できませんでしたし、やっぱり悲しかったです。

かと言って同じ様にやり返すのも違うんじゃないかと葛藤しつつ。

それでも母の教えを守り変わらず義母に誕生日、母の日、敬老の日はお祝いをしていました。


所が父を亡くしてから 私は

「これって、おかしくないか?」

と今の状況を改めて変だと思うようになりました。

そして、今まで私が子供に伝えていきたいと考えていた季節を感じる事や祝う事などへの関心がすっぽり抜けてしまったようなのです。

お月見、ハロウィン、クリスマスや雛祭り、端午の節句などなど。

「やらないと…」と思っていても やる気が起きません。

仕方がないから、やっている。こんな感じです。

雛祭りなんて、しぶしぶ前日にお雛様を出しました。端午の節句もまたしかり。


そして今年の母の日も やっぱり随分悩みました。

悩むくらいならやらなくてもいいんじゃないか⁉️そうも思いました。

前出の

「自分の親を大事にして欲しかったら、相手の親を大事にする事。」

を 夫に分かって欲しいくらいです!

私には義母さんだけでなく、本当の母親だっているのですから。

夫は義母を大切にする事を喜んでいますが、同時に「家庭が上手く行っている」と体面が保たれる事にもなると思っているんじゃないでしょうか。

だから 私はイラつくのです。

「感謝」が不都合を隠す為の隠れ蓑にされているような気がして。


散々悩みましたが、子供達にあえて見せる為にも 今年の母の日に  ちらし寿司を作って持って行きました。

何処のお店に食事に義母と行くのは、今の私には ちょっとしんどいので。

毎年端午の節句のお祝いに、ちらし寿司を作るのが我が家の定番なのですが 今年はそんな気にもなれなかったので それも兼ねまして。


義母も喜んでくれて 私も良かったと思うのですが、一つだけ気がかりな事がありました。

子供達が「母の日」を忘れていた事です。

問題は“母=私を祝う”と言う点ではなく「母の日」そのものを。

日にちが固定化されている他の祝日とは違い、母の日や父の日は第二日曜日と定められているだけで カレンダーにも明記されていない事が多いです。

つまり関心がないと気付かない場合もあるかと思います。

(中秋の名月もこの類です)

手前味噌になりますが、我が家の子供達は行事は一通り知っています。


例えば

端午の節句はお風呂で菖蒲を頭に巻くのが臭くて嫌なんだよねー

(一説にはこうすると一年健康でいられるとか。)」

位の会話は幼稚園児の頃からしています。

(昔、菖蒲を見てニラ頭に巻くの⁇って言ってたけど…(^_^;))


今年は私が義母に対して、母の日をどうすべきか悩んでいたので話題にもあげませんでしたし、家族の会話の中で聞いた覚えもありません。

それは 子供達のアンテナに引っかからないと言う事です。

子供達も それぞれに毎日を忙しく過ごし、考えることや興味が他にたくさんあるのは当たり前です。 

母の日を忘れるなんて大した事じゃないし、感謝の言葉や何かして欲しいとも思っていません。


ただ私が「マズイかも。」と危惧するのは 私の様に関心そのものが抜け落ちているのではないだろうかと言う事。

そして それを味わおうとする心の余裕が無くなっていると言う事…。


大人や子供に関係なく、私に起こっている事は あの子達にも起こっているのかな…。

母の日は終わったのだけれど 今はそれが少し気がかりです。

GWが私と子供を擦り減らすのか!(痩せないけど)

GW前半が(ようやく)終わりました。

遠出したわけでもないのに、この磨り減る様な疲労感はどう言う事なのか…。

夫指導の元で家族の為の片付け&掃除が行われています。

それはキッチンにまで及びました。

綺麗になる、整頓されるは素晴らしいけれど実際に使いやすいか?と言われると…苦しいものがあります。

その旨を夫に訴えてみましたが全く響きません。

逆に「お前が出来ていないから 自分が大変な思いをして片付けてやってるんじゃないか❗️」的なニュアンスな発言までされる訳です。

(あー  本当磨り減るなぁ。(T . T))

「正しい事をしている」と言った大義を持つ者は得てして聞く耳を持ちません。突っ走るのみです。


主婦である私は、キッチン道具をインテリアとしての見栄えと言う点で重要視していないので 使い辛ければ困るのは必至です。

でも聞き入れて貰えないのです。 

一体全体「誰得?」な整理整頓なのですよね。


このGW前半を1日1日と、何とか必死の思いで乗り切っていた私と子供でしたが今朝の朝食時に、夫から突然の発表がありました。

いつもなら「今日の予定、すべき事

」が夫から語られます。土日はいつもそうです。

何度も言いますがこの「予定、やる事リスト」の内容は殆ど夫が考えたものです。

そのリストに合わせて子供は習い事へ、私は家事を済まさなければならなくなります。

余程の理由がなければ拒否は出来ないですね〜。

思ってもいなかった買い物や庭仕事などがギッシリ詰め込まれ 休みと言えども 追い立てられる事に。

「休日は休みじゃない。むしろ疲れる。」が子供と私の認識です。


所が今日はそうではありませんでした。

「お父さんは今日、友達と用事があって出掛けるから。」

と、夫は今日の自分の予定をさらりと言ったのでした。

あんなに、あんなにしつこく事前に私や子供に予定を聞いていたのに。

昨日 夫は車の掃除をしており、普段まめにしている方でもないので不思議に思っていたのだけど、こう言う事かと腑に落ちました。


私は以前から夫が出掛けるのを嫌がるタイプではありませんでした。

滅多にない飲み会でも快く送りだしようにしていました。そして深夜 夫の帰宅を寝ずに待ち 話を聞く位はしていました。

ストレスを溜めがちな夫が友達に会って楽しそうな様子でいるのが嬉しかったのです。


私が憮然としたのはGWに友達との約束を入れた事ではありません。

夫が当日の朝になって自分に出掛ける予定がある、と告げた事です。


これは仕事が急に休みになった時も

、出勤がいつもより遅い時間になった時にもある事です。

事前に私に自分の予定を知らせようとはしないのです。

せいぜい早くて前夜の寝る前だったりとか。

そして 早帰りする時は連絡の一つも入れずにいきなり帰って来る。

これはどういう事なのか⁇


簡単です。夫は疑っているのです。

私を。子供達を。

自分を裏切っているんだろうと思っているから いつも試されているのです。

最初はありもしない私の浮気を疑っていたのです。

いつもと違う予定により、 良からぬ企てを私がもし目論んでいたのなら慌てて馬脚を現すだろうとか。

(あ、これ私の妄想じゃないですから)

夫は、やましい事がないのなら試されたって平然としていられるはずだろう?って思っていますもの。

疑いが人を傷付けるだなんて思いもしない。

しかも事実でもない事を疑われても

証明しようもないのです。


その内に子供まで怪しむように。

「裏切るって何を?何に対して疑っているの?」

それは夫自身も本当は分かっていないのだと思います。

嫌疑をかけるくせに、具体的に述べられるような理由も事実もありませんからね。

こうなってくると自分の意に沿わないものは裏切り。

そんな感覚に囚われているように思います。

因みに私と子供でファーストフードで食事をした事も「自分に内緒にした❗️裏切りだ。」と長女に話したそうです。

もう何に気をつけて良いのか分かりません。


特に私の実家と揉めてから、夫は ますます酷くなりました。

それ以後  一切家族で私の実家行かなくなったので、私が黙って子供を連れて帰ったのを知ると(日帰りですよ?)烈火の様に怒り出し 私のいない所で子供を責めました。

「嘘をついたお前は俺を裏切ったんだからな❗️蒸し返してやろうか?」と今でも子供を責めます。

一言断わっても許してくれなかったくせに。

でも私じゃなく子供を攻撃するのが堪らなく辛いんです…。


今日も、自分が不在の時を狙って 子供達と実家に行くつもりじゃないか

。自分に秘密を持つんじゃないかと疑心暗鬼に駆られて 今朝の報告になったのでしょう。

もちろん帰宅時間は分からないと言われました。

誰と出かけるのか、何処に行くのかも私は知りません。

逆だったら死ぬ程聞かれますけどね


子供達は そんな事はどうでもいいみたいです。

突然訪れたGW休みをゲームをしたり

、アニメを見たりとのんびり過ごせたようです。

でも車が外を行き交う度にハッと顔を見合わせ、窓から駐車場を見て夫が帰宅したのではないか確認していました。


訂正します、本当の意味でのんびりなんて私達は出来ていません。

悲しい事にGWは後半の方が、長い。







楽しくないGWなら一日で終わってもいいのに!

2018年、GWが始まりました。

友達から

「旦那の会社が9連休なんだよ!どうやって過ごせばいいいの(T . T)嫌すぎる!!」

と嘆きのLINEが届きました。

9連休と聞いて思わず目眩を起こしそうになりましたね。(O_O)

一体何回食事の用意が必要かと…

その点を踏まえて果たして旦那さんのお休みが9日と聞いて本当に喜んでいる奥様はそんなにいるのでしょうかね?

あ。嫌味ではなくて単にそう思える方が私は羨ましいんですけどね。


上記の友人は完全に家庭内別居をしているので 平日に旦那さんがいるのが本当に苦痛で仕方ないそうです。

子供もおらず大人二人の生活なので

連絡は専らLINE等で足りるそう。

普段の生活は基本、自室にこもってやり過ごすそうです。もしくはわざわざ外出をするそうな。

 (それでも9日間持つのかな(-。-;)

家の中のトイレすら 旦那さんがいない事を確認してからダッシュで済ましに行くそうです。

こうなってくると自宅なのに全く寛げませんね。

安全な場所であるはずの家でずっと緊張をしていれば いずれ不調をきたす可能性が高い。

友人も精神的な浮き沈みが激しくて辛いそうです。

かく言う私も人の事を心配出来るような立場ではないのですけども(~_~;)


我が家はここまでではありませんが

似たようなものです。

それでも子供がいるので親として共有すべき事もありますし、お出掛けもします。

「子供」と言うクッションがあるからこそ何とか維持が出来てはいるんでしょうけど、そこにはバレバレの「家族」としての演技も必要不可欠なんですよねー

(上二人には確実にバレていますから)


やりたくはないんですよ?えぇ。

演技って位だから、美味しい物を食べても 綺麗な物を見ても心から喜ぶなんて出来ません。

強いて言えば 喜ぶ子供の姿を見る為に母は頑張っているんだ、と。

長期の休みに限らず、昔ほどではありませんが遠出など色々と出掛けています。

次女はまだ幼いですから 出かける機会も設けてやらないと可哀想ですからね…。

だけど全っ然楽しくないです❗️

夫がいつ不機嫌になるか分かりませんからね。

夫は子供たちの発言や行動に逐一注意をする言うタイプなので 突然説教が始まり空気が悪くなるのです。

家ほどではありませんが、そりゃあ厳しいものです。


例えば うっかり食事中に子供がおかずをこぼしたとする。他の家族が「もう!遊びながら食べているからだよ!」

で、済む所を我が家はそれでは終わらない。

一つの失敗をすれば、怒鳴られ叱られバカ扱いをされるのです。

私が慌てでフォローするも 時には更に怒りを買ってしまい 最終的には

ただじっと親子で説教が終わるのをひたすら待つなんて事も。


比べても仕方ないのだけど、なぜ他のご家族が和気あいあいと食事をしているのに うちだけこんな風に淀んでるのかなぁと思ったりします。

叱られる原因が粗相だとしても そんなに責められるような事とは思えないんです。

そんな事がある度に子供たち(上の二人)は一緒に出掛けるのを嫌がる様になりましたし、食事も特に会話せずに食べるようになりました。

子供たちも私と同様、感情を抑え心を鈍くしていないと傷付くからでしょう。

ほんと 家族で疲れてどうすんだろ。


今年、我が家は語ったような外出をしていません。ひたすら片付けと掃除をしています。

私も夫から罵倒され、馬鹿にされ も

〜そら大変辛いです。

嘆きの友人に「今 片付け&掃除中。

出かける予定はなし。」

とLINEを送ると

「…あれ?昨年のGWも片付けって言ってなかったっけ⁇」

と返されてしまいました。御明答‼️さすが私の友よ。


GWはまだまだまだまだ続く。あぁ。





溢れる私物は今や死物に

片付けが苦手なametanakaです。

私は元々物を溜めやすい傾向があります。

ですがコレクター適正はなさそうなんですよね。

私からすると「集めて愛でる人」は物を大切に扱える人と言う感じで好印象を持っているのですけど。

残念ながら ただの片付け下手です。


昨年 個人的な私物を3分の1程捨てました。

結婚の際に整理したとは言え、 40数年生きているわけですから 荷物の量だって相当ありました。

でも家を片付ける為に 今まで私の物を入れていた場所を「もう使わせる気はない。」と突然夫に言われてしまったのです。

私の意見?そんなものは関係ありません。

夫にしたら それはすでに決定事項で「家の為に正しい事をしている」

と言う思いだけ。


私にだって荷物があるんだし、ある程度のプライベートゾーンは必要だと主張しましたが 夫は

「主婦ならそんなに場所は要らないだろ。」

と言われました。

それは、まるでこの家に 私の居場所なんて要らないだろうと言われた様に思えて悲しかった。


もー捨てましたよ。やけくそで捨てました。

本もブックオフで叩き売りました。

(そして代金の安さに更に凹む事に(T . T))


断捨離が中々進まない友人から

 「よくそんなに思い切って捨てられたね〜。」

と言われましたけどもう思い出とか勿体無いなどと言ってられなかったのです。

何と、夫は私の物を仕分けるつもりでいたのです。

雑貨や友達からの手紙、写真や手帳、通帳や貴重品もあります。

自分以外の誰かと共有するものではないと思います。

片付けが苦手な妻を手伝ってあげようと考えたのかもしれませんが、

それはいくら家族でもおかしな行為です。

私は成人した大人ですし、判断も出来ます。

そもそも私自身が夫に手伝いを頼むのでなければ、夫の振る舞いは自分の域を脅かそうとする「侵略」とすら思えてならない。

「やましい事が無ければ平気でしょう?」

と言う方がいらっしゃるかもしれませんが私は絶対に嫌です。

長期で病床に着く場合や死亡するなどを除いては、親や子供にも勝手に荷物を触る事はしないで欲しいなと思っています。


夫は「チッ❗️」と舌打ちし、怒りを露わにしましたが ここだけは私は引きませんでした。

こんな状況だったので夫に触られる前に自分で捨てるしかなかったのです。

深夜まで作業してとにかく残っている私物を箱詰にしました。


…そのね。

箱詰めにした私物は1年たった今も箱のままなんですよね。

何処に何があるのやら〜(^。^)

と、言うよりも本当にあるのか無いのか〜(^o^)と言った有様でして。

さすが片付け下手だけあります。

父が急死してそれ何処ではなくなったのは事実ですが それ以上に闇雲に箱に押し込んだのでは やはり使いにくのです。


化粧品やら帽子やら日常で使う頻度の高い物はさすがに引き出し付きのプラケースに入れて取り出しやすくしていますが たましか使わない物に関しては箱詰めにしているので使用する度に箱を開ける、探すと言った工程が必要になります。

この一手間が時間のロスになるんですね!

なんて。みんな知ってますよね。



その上 以前程ではないけれどやはり溜まって行く日常のアレコレ。

子供の懇談会のプリントとか、試供品の化粧品やカタログなど雑多なものは自然と増えてきます。

そうやって狭い押入れの中に積み上げて次第に層になって行くのです。

箱詰めにした物、溢れて行く私物は

いつしか「死物」と化す。


認識しなければ無い物、即ち死物になるのです。

物が使わない(動かさない)内に劣化してしまうように、感情も鈍く感じなくなってしまいす。

その点は同じですね。


私には物と感情は切り離せないようです。