…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

問題を放置しておくと、ヤドカリ人間になる

新年明けて、子供達は三学期です。

学年も総決算に入るのですが、お母さんや役員さん達は(会社もかしら?)

次年度に向けて人事ならぬ 新体制について気を揉むこの季節。


子供会の新役員はどーの。

小学校の執行部はこーの。

保護者の運営するボランティアはどーの。 …etc

悲鳴の様な愚痴をあちらこちらで耳にします。


実際には 秋頃から来期に備えて 現役員による打診、交渉は水面下では行われていてこの時期には大概 決まっているものです。

そうでなければ新学年の4月からスムーズにスィッチング出来ませんからね(^_^;)


この時期に現在揉めているとしたら

それは、なり手がいないか もしくは 

新体制を担う人物に問題があると言

う事が多いんじゃないかな…。


我が家は小、中学生がおりますが

どちらにも共通しているのが保護者のサポーター(役員、運営メンバー)のなり手不足です。

そうなると一度きりと思い引き受けると

「翌年もお願い〜(T . T)」

と言った展開になりやすいし、複数の役を兼任する人も出て更に更に背負うものは重くなって行く。

この悪循環がより人出不足に繋がるって言うね。


もう みんな狭い地域で有望な方の奪い合いですよ❗️


今回 別の小学校に子供が通っているママ友から聞いた愚痴の内容は、

先ほどの揉めてザワついている理由にも挙げた

“なり手は見つかったものの、ちょっと一癖ある人だった。どーする?”

問題でした。


うわ〜 有りがち。


ママ友は小学校の委員で他学年のお子さんを持つマナミさんと知り合ったそうです。

とても人当たりも良く、快活な方だったので ママ友は、軽い気持ちで

自分が参加している 保護者が運営する卓球クラブの見学に誘ってみたところ 興味を持ってくれ そのまま入会してくれたそうです。


なり手が年々減って、存続も危ぶまれていただけに、

久々の新メンバー加入にみんなが大喜びしていたけれど…


後に 彼女はトラブルメーカーだったらしい、と判明する。

(うわ〜これも 有りがち…。)


マナミさんは最初こそ控えめな態度で 先輩メンバーに可愛がられていたそうです。

練習にも意欲的だし、加入早々 名前だけでいいからと会計係に据えても嫌な顔もしない。

しかもお子さんは低学年だから 息の長い参加も見込める、と期待の新人と思われていたのです。


それが数ヶ月が過ぎた頃から

徐々に 口調や態度が横柄になっていったそうな。

あくまで保護者のクラブは 交流目的であって、子供達の行事などが優先される事が前提なのです。

マナミさんは そこに喰いつきました。


練習時間や他の部との場所の割り振りに対しても 口を挟むようになり、

他のメンバーの前で 部を取り仕切る部長さんのやり方や決まり事に対して

「これって効率的じゃないですよね?」

と、変更を要求し始めたと言う。


果ては、先輩にあたる古株メンバーを通りこして 学校側に直接交渉まで行ってしまったと。


あえて言えば新参者であるマナミさんが 態度をコロッと変えた理由。


ここには クラブ運営の 大きな落とし穴がありました。


私の子供たちが通う小学校も同じなのですが、この辺りの地域では保護者運営のクラブは子供が"在校生”である保護者が活動している事が必須条件となっています。


地域の活性化を兼ねつつ、何より 在校生の保護者同士の交流を目的とされているからです。


この卓球クラブも練習は小学校の体育館の一角を使用しているそうで、

表向きは在校生の保護者を部の中心人物として据えられています。

ですから 経験が浅くとも役員は皆

在校生の保護者が担う事に。


そして、このクラブの先輩メンバーの大半は子供が中学生以上になり、OBの立場でした。

だから部を存続させるためには、在校生の保護者を増やす必要があったのだと。

そこに現れたのがマナミさんだったのです。


卓球に関して初心者の彼女が、大歓迎を受け みんなが重宝がる理由を

マナミさんが知ったのか知らないでか、部を自分の都合いい様にコントロールし始めてしまったそうです。



他メンバーが マナミさんの変わり様に 呆気に取られる中、仰天したのは

友人ママ。

自分が良かれと声をかけた人が まさか こんな風に クラブを引っ掻き回すなんて。


これまでの事情を知って私が

「え〜…。一緒に委員をやってる時に、マナミさんのやばい性格 気が付かなかったの?」

と聞くと、ママ友は

「ないよ、ない。意見は言うけどさっぱりとしていて、勝手な人ってイメージはなかったよ。

子供も大きくなってきたし、そろそろ自分の時間持ちたいなって 言ってたからさぁ。」

と 力なく答えました。


むしろ、明るくて感じの良い人だと好感を持っていたと。

確かにそうでなきゃ同じクラブに誘いませんものね。


今だって マナミさんを最悪な人とは思えない。学校で見かければ お互い挨拶も多少のお喋りもするし。

とママ友は続けます。


ただ、マナミさんの

明るくて、積極的で、協力的と思っていた長所が

→気分屋で、目立ちたがりで、図々しいと映ってしまう。

もう、私にはそうとしか感じられなくなってきたと言うのです。


長所は短所と紙一重、とは良く言ったものです。


結局 今回は他のクラブとの折り合いがつかず、マナミさんの提案を学校側が断るところに落ちついたのですが、

他メンバーも 彼女をどうしたものか と持つ余しているらしい。


誰もマナミさんに声をかけたママ友を非難しないんですって。 

メンバー補充は兼ねてからの課題でしたし、

お子さん同士も他学年だった為  マナミさんの問題のある性格まで知らないのは仕方ない事だったと。

逆にママ友を慰めるように 言ってくれるようです。


「だけどなんか、もう。私 みんなに申し訳なくって〜〜(T ^ T)」

ママ友は苦悩していました。

マナミさんが 自分の振る舞いに気付いて態度を改めてくれるのを祈るばかりでした。


しばらくして、ママ友は 子供の習い事で知り合った隣の市に住むあるママから意外な事実を聞かされたそうです。



数年前、マナミさんはお子さんの通う幼稚園で卒園アルバム作りの委員をしておりそこで ちょっとしたトラブルを起こしてしまったそうです。


直接の原因となったのが、アルバムに使用する 園風景や行事の写真の多くにマナミさんのお子さんや 特定のお友達が写っていた事でしたが 

それだけでなく 彼女の横暴さに委員内の人間関係が拗れてしまったそうです。


写真の件に関しては、多少であれば広報を担当するものの特権である事は 暗黙の了解とされていますが 

マナミさんの使用した枚数はそれを上回っていて、指摘した委員の悪口をどうやら 他で広めてしまった事だったのです。

マナミさんは委員内で派閥を作り大変だったと。


結局、揉め事を耳にした園長先生が仲裁に入り終結したそうです。(まぁ、園アル作成から起きた事ですしね…) 


公平な判断の元、無事アルバムは完成され マナミさんのお子さんは卒園したそうです。

そして小学校入学を機に ママ友の地域に引っ越してきた、と。


下のお子さんは 違う幼稚園に入園したそうです。

「通うのに遠くもないだろうけど、人間関係リセットしたかったんだろうね〜。」

と言うのが知り合いのママさんの意見だそうです。


あ〜〜 あ〜〜  なるほど。


元々自己顕示欲の強い人だったのか。

最初に知り合った委員で、意見は言えるけど控えめな印象だったのは  

自分を抑えていたから❓


卓球クラブでは みんながマナミさんに遠慮して苦言を呈しないから 増長したんだ。

これじゃあ 彼女が態度を改めるなんて期待できないかも_| ̄|○

ママ友はガックリしたそうです。


私は  図らずもトラブルを招き入れてしまった友人のママの落ち込みを気の毒に思う反面で、

何処かマナミさんの気持ちも分かる気がしています。


やらかしは理解していませんよ❗️


こんがらがった人間関係をリセットしたら、次は上手く行くんじゃないかと思う所です。

甘えですけどね。


マナミさんは ママ友と知り合った委員では「控えめな自分」でいたのですよね。

自分の横暴さを自覚していたんですよ。こうすれば嫌がられる、と。


卓球クラブでは 多少無茶を言っても

受け入れて貰えると確信したから

今に至ったのだと思います。


私は思うのですけど。


マナミさんは居場所を見つけたと思ったのかなぁ。

こんなやり方、長続きするの?

大事な居場所なら無くさないようにすべきなんじゃないの?


前回のトラブルでも、相手に素直に謝って反省していたら 少しは結果が変わっていたんじゃないのかな。

 

あ、おかしな方向に進んでいる。

って思ったら軌道修正しないと、ど

んどん外れて行くんですね。


周囲に忠告してくれる人はいなかったんだろうか。

それとも 聞く耳を彼女は持たなかったのかな

??


(あれ。私自身の状況にも同じ事のような気がしてきました。

がーーん。Σ(・□・;))


そうして、拗れてたら殻を棄てて

違う居場所を探す。

ヤドカリ人間になってしまうんじゃないでしょうかね。

(ヤドカリよ、ごめん。君は大きくなる為だよね。)


マナミさんは 卓球クラブに居づらくなったら辞めちゃうんだろうかな。

そしたら 他の場所を探すんだろうか。


居場所は、居着くから居場所って言うんだよね。


当たり前の事、気付いたな。















2019、始まりました。

2019年が始まりました。おめでとうございます〜(^_^)


いえ、私にはもう新年明けてから半年くらい経った気がしていますよ!

年末も正月も主婦に休みではないんでっ。

世の中は休みでも行っている家事は平日と変わりませんから。

そこに正月の行事がプラスされる訳です。


強いて言うなら、時間の流れが若干

緩やかなのが少し気持ちが楽かな。


お屠蘇と称して午前中からお酒を飲む夫と違い 何がめでたいのか分からない私。


晦日も 年越し蕎麦の後片付けを終えて、きっちり23時56分まで働きましたよ。

なんて余裕のない年越しなんだ…。

紅白の米津玄師さん観れたのが救いでした(T . T)


まぁ、おせちを準備したからと言って 食事がそれだけで済む事もなくて

温かい汁物やご飯、おかずを毎回用意しなきければならないのです。


新年明けてと言いますが、主婦の労働は昨年からずっと数珠つなぎ状態ですよね。

は〜〜くたびれながらも 冬休み終わって良かった!


めでたいと ちっとも思わないんですけど、新年と言う響きは私も好きです。

そう新しい年だから 私も一歩ずつ進みたい。

「お母さんは言う事を聞いてくれるから、好き。」…なんてのは私は嫌だから。

長女が帰宅後、今日自宅へ友達を呼んで遊んでもいいかと聞いてきました。


今日は終業式だったので子供達は午前中に帰ってきます。

「早く帰られるから、たくさん遊べる〜(^O^)」

と小学生は数日喜んでおりました。

冬休みに入れば中々お友達に会えませんからね。

通知表を貰って、親の機嫌がどうなるかとかなど 我が家の子供達は考えないものでしょうかねぇ…。


浮き立つ気持ちは中二の長女も同じようで 

「今日だったらみんな遊べるんだ〜❗️」

と、それは上機嫌でした。


中学生である長女の普段の生活はいつも忙しいものです。

どの子も平日は部活や委員会と遅くに帰ってくるので遊ぶような時間はありません。

土日でも習い事や塾など予定があり、遊ぶ約束を取り付けるのが大変難くなっています。


事前に予定を聞くなんて、今の子供には遊びに予約が必要になるのかと 時々 私は複雑になります。


だからこそ、この貴重な空いた日に

楽しみたいと思うのは当然の事…。

それは分かります。


我が家ではテレビゲームなど室内でしか出来ない理由がなければ基本、お天気なら外遊びを推奨しています。

私としては出来れば運動など体を使う遊びをして欲しいと思いますし、外でやる遊びを室内でやる方が無理と言うものです。

(なぜか子供って家の中でドッジボールとかやったりするんですよね

…。ボールは風船やゴムボールを使ってますけど。)


もちろんそれは我が家に限ってではなく、他のお家でも迷惑になるから それなら公園などの外遊びにしてねと伝えています。


ただ、これも小学生までのお話なのかもしれません。


中学生にもなると女子は公園から姿を消し、ショッピングモールなどで見かけるようになります。

公園で集うのが子供っぽいと思っているのか分かりませんけど、長女も嫌がります。


女子の話題が主に恋話だったり悪口や噂話しなど、あまり聞かれたくない内容なのかもしれませんね。


反対に男子はたま〜に公園の遊具で遊んでいるのを見かけますけどね!鬼ごっことか、広範囲の隠れんぼとか(^_^;)

男子は精神的に幼いのかしら?!



長女や仲良しのお友達の“遊び”は ゲームをしながら騒いだり、お菓子を食べながらキャイキャイお喋りしたりと他愛ないもの。

ガン盛りメイクして繁華街に繰り出す訳でもないので 親としては安心が出来る遊びではあるのですが。


うーん。だけど、なぁ。

長女たちの遊びのためにうち、って言うのも正直ちょっと疲れる。


「ねぇ〜 お母さん、ダメ?」

長女は渋い顔をする私に再度聞いてきます。


結局私は

「ごめん、今日はちょっとやめて欲しいな。」

と断りました。


長女が滅多にない機会を楽しみにしているのは分かっています。

でも先月末の期末テストの最終日に

我が家で 長女は友達と"お疲れ様会”をしたのです。

「集まる場所がないから、家でもいい?」

と言って。

その時は長女の希望を優先しました

菓子やジュースを幾つか用意して、弟たちに外で遊ぶように頼んで わざわざ場を提供したのです。

挨拶だけはして、お友達が家にいる間、私は他の階にいてあまり顔を出さないように気遣っています。


それも長女の友達付き合いを大切にしたい気持ちからです。


だけど、何度も続けて招いていれば

それは当たり前になってくるでしょう。

遊びの話になると

「集まるのは あの子の家でいいじゃん。」

なんてお決まりになっては困ります。

親が不在がちだから、お家のルールがゆるいとか溜まり場になりやすい家って そんな流れで始まるなんて、良くある話です。


恩着せがましい言い方かもしれませんが、我が家は お友達にではなく、長女に「わざわざ」場を空けて提供しているに過ぎないのですから。


来客がいれば 当然やりたい事、やらなければいけない家事などにも制限がかかってこなせない事も出てきます。

年末を控えた平日に済ませておきたい事はたくさんあります。


その話をすると、長女はムッとして

「そう言うだろうと思った!」

と言い放ち、ダンダンと階段を登って行ってしまいました。

「早く昼ごはん作って!いつも遅過ぎるんだよね!」

と 捨て台詞を残して。


「あ〜ぁ。」

すっかり不機嫌になった長女を見て思わず溜め息がでました。


私が長女の友人関係を応援したいのは 単なる親心からなんだけど、

心のどこかで 我慢ばかりのストレスの溜まる生活へのご褒美とか、

これから始まる憂鬱な長期の休みを迎える前に楽しい思いをしておいてね。

なんて気持ちもあったりするわけなんです。


今、親としてこの状況をどうにもしてやれないから、せめて小さな希望を叶えてやる事で何とかやり過ごして欲しい。

そんな狡い気持ちに自分でも薄々気づいているのです。


これは本当は親心じゃなくて、優しさでもなくて、罪悪感からくるのでしょうかね?

 

家庭内で否定されて 子供たちが萎縮しているのを感じて、私くらいはと注意や叱る事を以前より控えていたら

あれ、子供たち最近 私の言う事を聞かなくなったな。なんて気がしていました。


思春期や反抗期と言う時期が重なっているとは言え 

「はいはい。」

と軽く流したり、非を認めなかったりする態度が目についてきたのです

子供に対して、必要な事まで言えなくなっているんじゃないかと思ったのです。


私が少しでも 子供たちを元気づけたい、甘えさせてやりたいとしている事は 歪んでいる家庭での罪滅ぼしに近いのではないか?


私は 今、子供に必要な事まで言えなくなっているんじゃないかと不安なのです。


そんな時に子供から

「お母さん、最近怒らなくなったね。」

と言われてギクリとしました。


お母さん好き〜と子供たちに言われると本当に嬉しいです。

その優しさが 今の私を支えてくれているからなんとか頑張れるのです。


でもその好きが

「言う事を聞いてくれるから好き。

なのだったら、私は嫌なのです。


それはお母さんじゃない。

私、じゃない。


甘えが我儘にならないように。

優しくて強いお母さんになりたい。

そんなお母さんでいたいです。



地団駄を踏むって、結局は一歩も進んでない。

地団駄を踏むって言葉、ありますよね。

人が悔しがったり、思い通りにならなかったり、ごねる時に足を踏み鳴らす行為なんですけれども。


我が家では、昔は子供が癇癪を起こしてはダンダン!と踏み鳴らしたものです。

ADHD気質が色濃く出てた息子が泣き喚きながら(^_^;)


夢中になっている事を中断させられたり、姉から仕掛けた喧嘩で、理不尽にも叩かれたりした時に起きていましたね。

あの頃の息子は自分の気持ちのやり場がなくて、周囲にある物や地面に打つけるした手立てがなかったと思うのです。


思い返すと、息子は八つ当たりはしつつも地団駄を踏む事はしなくなりました。

六年生になった今では殆ど見ませんからね。

私は息子の“自然”な成長だと勝手に解釈していたのですが、それだけではなかったのかもしれません。


発達障害の方は成長するにつれて

一部の特性が目立たなくなる事があります。


全ての人に共通する事ですが人は経験し、失敗をする事で次に活かす為に知恵を授かります。


ADHDの特性を持つ私もですが 大人になるにつれて

「上手くは出来ないけど、何とか失敗せずに済むような方法」

が身に付きました。

小さなつまずきはあるものの、大きなしくじりにはならないと言う事です。

つまり経験値ですね。


不得意が分かると得意な事も分かってきます。

“苦手”を避けて通れない場合もあるけど、時にはゆるやかに回避を選択

すればいいと判断するのです。

その際に自分が出来る、やり易い方法がないかを考える。

それは知恵です。


こんな具合に年齢を経て、経験や工夫が出来るようになる事を単純に成長と呼ぶのでしょうけど、我が子のみならず何かしらの特性を持つ子供たちは「ほっといていても」自然に

身についていた、とは行かないんじゃないかな。


ADHDの症状が軽度だったからでは??と言われるかもしれませんが

先生や親など周囲の適切な声かけや

アドバイス、話し合いなどがあってこそ 定着した力だと思うのです。


それこそ、懇々とね。

「もー毎日、お母さん言ってるよね❗️(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾」

と言える位、私は子供達に口を酸っぱくして伝えてきました。

多分どこのお母さんもそうでしょうけど。


それでも仕出かすのですよ。言ったそばから我が家の子供達は…。

のれんに腕押し。糠に釘。

それ位、響かないものです。


ですが改めて思えば、成長の裏には周囲の人間の注意や声かけだけでなく 数えきれない程の失敗と、それを『恥ずかしい』と本人が感じた事とセットになっていたのでしょう。


出来るようになった事=失敗の数

なのかもしれませんね。


今の息子が地団駄を踏まなくなったのは多分、対処方を学んだからでしょう。

遊びを中断させれ、先に宿題をしなさいと言われた時は、文句を言いつつも実行できるようになりました。(始めるのは恐ろしく遅いんですけどね…) 

姉から仕掛けた理不尽な言い掛かりには きちんと反論し、応酬できるようになりました。


悔しくて、やりきれない気持ちを地面にぶつけなくても、何とかやり過ごす力を身に付けたんでしょうね。


地団駄はあんなに足をバタつかせても、実は一歩も進んでいないんですよね。

息子は 地面を憎々しげに踏みしめ、 やりきれない気持ちを紛らわすのを止めて歩き始めたんだと思います。


今の私こそ ただただ

「悔しい、悔しい。」

と嘆きながら地団駄を踏みならしているだけなんだな、と思います。


地団駄は実は一歩も進んでいない。


私も歩き出さないとな。

今の私には「たられば」は要らない。

我が家は相変わらずです。

夫婦間は硬直状態な上に、子供達は思春期に差し掛かっていて家庭環境

が落ち着かない不満を私に打つける日々。

まぁ 父である夫に言えない分、私に集中砲火されるのは分かるちゃあ分かるんですけどね。

(父への文句を私に言ってどうしろと言うの〜??(;_;))

でも、やっぱり子供から責められる のってキツいです。


こーんな鬱々とした状況下にあって私は自身に起きたこの事態に対して「たられば」的に考えた事がそう言えばないなぁと思いました。


《たられば》

もし「〜だったら」「〜していれば」

と事実とは無関係な仮定して後悔する事。


何故こんな事をふと考えたかと言いますと、私は時々不安になると 有益な情報はないものかと狂った様に「子連 れ離婚   迷う」などのキーードで検索をする癖があるのですがもー出るわ、出るわ❗️ 離婚関連の

びただしい数のサイトがヒットするのです。

そして世の中には

「離婚をした方がいいものか」

と本当にたくさんの方が悩んでいる

んだな〜と改めて驚くのです。


現実的に離婚後の生活を見据えて悩んでいる方がいる中でが変わってくれる事をひたすら望み、嘆いても一定数いるのに気付きました 。


時間の経過と共に上手く収まって行く場合もあるとは思うのですが、構切迫した事態であるにもかかわず、相手(旦那さん)の改心を待って大丈夫なの〜?(・・;)って心配になケースが多々あるんですよね。


以前参加したセミナーのグループトークでもやはり同じ様な方が数人いらっしゃいまして アルコール・ギャンブル・借金・モラハラ・浮気と家庭内での問題は違うのですが 皆さん一様に

“夫が変わってくれたら状況は好転するはずなんです❗️”

とおっしゃるのです。

 

辛い毎日を過ごしている事を、時折涙を流しながら切々と語りながらも彼女たちは いつか夫は変わる、変わってくれるはずと信じているのです

それだけでなく

「私は夫を変える事を諦めない。」

と仰しゃった方もいました。



こう言ったセリフを聞く度に私は思ってしまうんですけど…

旦那さんの過ちが《一回こっきり》

ならもしかすると修正が効くかもし

れませんが 、数回に及んでいる場合

この先 「変わる」事はかなり難しいんじゃないのかな、と。

場合によっては、奥さんだけでなく

医師や弁護士、団体などのサポート

が必要なのかもしれません。


何より『変わらなければ駄目だ』と言う強い意志が本人になければどうしようもない。


簡単な事を言えば、ダイエットが 中々成功しないのは 運動や食事制限など 普段の生活を変えるのが大変だ

からですよね?


誰でもない自分自身を変える事だって難しいのに、奥さんが他人である旦那さんを変えるなんて事を本当に出来ると思っているのかな、と不思議に思いました。


そもそも この

「相手さえ変わってくれたら上手く行く」

と言う願いこそが 根拠のない“たられば”だと思うのですがね。


相手の乱心のみがこのトラブルを生んだのでなければ、今は収まったとしてめこれから先また違うトラブルが起こるのではないのかと思うのです。


それにね。

奥さんが辛く擦り減る様な毎日を送りながら頑張っているのに、解決策が旦那さんの改心頼みかと思うと、私は何だかやるせなくなります。


じゃあ離婚で!と簡単に思えないの夫婦だから。家族だから。

私も葛藤中だから良く分かります。


私が自分の家庭において「たられば」を考えないのは、

単に人(自分)はそんなに簡単に変われない、他人(強固意志を持つ夫)を変える事は更に難しい。

と分かっているからなだけです。後は… 悲しくなるからでしょうか。


私だって何でも支え合える夫婦でいたかった!


子供の成長や問題について、共に考

えていけたら!


私の実家に夫が押しかけて暴言吐かなかったら!


…って考え出したら止まりません。そして それは今更言っても仕方ない事だって思い知って虚しいだけ。


あぁ、でも本当は「たられば」は 私のように離婚へ踏み切れない人の心を守る為の防衛策なのかもしれませんね。


だけど皮肉なもので 今の自分を支えてくれているのは「たられば」ではなく、私の場合 三人の子供たちとの酷な毎日なんだと思います。


頼りになるのは たらればの甘い言葉より、いばらの道なんですかね。









深海魚を買って、仕事について考えてみた

昨日近所のスーパーに買い物に行きました。

玉子70円を狙ってはりきって早朝に(^_^)


我が家ではこの月半ばが家計で一番苦しい時期で、私の頭の中は

「いかに支出を少なくするか、節約できるか。」

で、一杯な訳です。

それなのに行けば買い過ぎる…。

メモ通りでは済まないのが悲しい〜

(あぁ、現実)


買い物をしていると、鮮魚の方から朗らかな声かけをしている方がいました。

30〜40代くらいの男性店員さんがお客であるおばさまに魚について説明をしていたのでした。

「あ〜 これね、珍しいでしょ?

“トウジン”って言うんですよ。深海魚ですね。変わってるでしょ。

こう言った“目玉が異様にギョロッとしているのは 深海魚の特徴ですよね〜」


どうやら近海で獲れた「トウジン」と言う名の魚をおすすめしているようです。

簡単な説明をしますと、このトウジンは タラの仲間のソコダラの事でした。(海の底に生息している事からこの名前が付いたそうです。)

尖った鼻先を持ち、目玉が大きな魚で顔は大きいものの 身は細身です。

見たまんまのTHE深海魚。


こちらのスーパーでは、飲食店向けのいわゆる業務用向けの食材も扱っているお店なのです。

メガサイズのマヨネーズや串カツなどもありますし、クリスマス時期でもないのに鶏の丸焼きが常備しているお店は中々ありませんよ!

(ま、あっても今の時期は買いませんけどね。(*´∀`*))


そして野菜や鮮魚も おしゃれな、と言うよりは地域で取り組んだ新しい品種や近海で取れた見慣れない魚が時々並ぶ、面白いお店なのです。

一緒に来ると生き物好きな息子は魚売り場の前を動きません。

「お母さーん。蟹買おうよ!生きてるよ!600円でお買い得だよ!」

なんて口説きにかかってきますが

食べるんじゃなくて、奴の狙いは

“飼育する”ですからね❗️

レジでお金を払っている最中でも

カニ買おうよ。カニかわいいじゃん。育てられるって。お母さんはケチ過ぎる!」

と隣で唸り続ける息子。

…と、まぁ 中々お目にかかれない魚を取り扱っている お店なのです。


トウジンについて店員さんは

「煮付けにするといいですよ。」

と調理法についても話していましたが、後で調べてみると刺身でも フライにしても味は大変美味しいとの事だそうです。


しかし見た目が変わっているのと、顔が大きい割に身体は細く 食べる部分が少なそうからか、おばさまは残念ながら購入には至らず、笑顔で去っていきました。

店員さんもしつこくせず、笑顔で

「またお願いしまーす❗️」

と 声をかけていました。


見慣れなく、一見奇妙な魚を興味だけて購入するのは勇気がいりますものね!

私が「トウジン」と聞いて、ふと立ち止まったのも どこぞで耳にした事のある名前だったから。



「あぁ〜どうしよう。」

私はここから悩み始めました。

価格は一匹200円程度。決して高くはありません。

ですが、この時期の出費は痛い…。

そして“どーやって調理すんのよ⁉️”

が、大きな問題です。

先ほどのおばさまも これが一つの壁になったのかもしれませんね。


慣れない食材をどうしたらいいのか? 

これ、お料理をされる方は結構切実な問題だと私は思うのですけど、どうでしょう。

そりゃ、ネットが普及されていますから クックパッドなどで 調べるのは簡単な事ですけれど 実際に調理するまでに行くには 殆どの人は躊躇すると思うんです。


調べるのは指先一つで出来ても、下準備や調理は倍の時間と手間を要する… 食べるだけの方は そこの所を意識して欲しい!!


さんざん悩んだ挙句トウジンを購入する事にしました。

食育〜、教育〜と深く考えなくても

これくらいなら私にも出来る!と思ったからです。


さて。どうせなら良い奴を、と選ぶ段階になって トウジンの身体を覆う鱗がかなり硬いと気づきました。

「うわ〜〜 かなり手強いわぁ。何 この鱗?骨も硬いのかなぁ。」

ビビる私。


そこで一応 魚の下ろし方を聞いておこうと思いまして、店員さんに声をかけました。

私としては 朗らかに深海魚を勧めていた店員さんに伺いたかったのですが(チーフぽかった)

手が空いておらず、来てくれのは初老のおじさん。


この方がね、まー 何とも適当な方でしてね。

調理法を聞いても

「煮付けですかね〜。ポップにも書いてあるでしょ?」とか

鱗について聞いても

「バーッと取っちゃえば大丈夫ですって。」

下ろし方でも

「腹(内臓)出して、後はまぁ適当にですかね。」

と、おざなりな説明で売る気はあるのかと思うくらいでした。

一瞬やめようかと思いましたもの。


食べる以前に、私としては息子に

「観察させる」つもりで購入するので 形の良いものを選んでいるのですが おじさんに

「どれでも同じですって!」「ほら、同じ形でしょ。」

と 繰り返されました。


お腹が潰れたもの、歪んでいるのもいましたし、魚を大切に扱い さほど時間もかかっていないのに、です。

「子供に見せたいんです。」

と伝えても 上記のような発言を繰り返された訳です。


このおじさまと接していて

「なんで こんな発言するのかな?年齢は関係ないな、性格だなー。」

と思いました。

私の実家は自営業で昔気質の職人さんをたくさん見てきましたが、それとも違う。

売る相手の事も、扱っている物も見ていないよなと言う感じでした。


「煮付けもいいけど、フライも美味しいですよ!」

「身が少ないから ぶつ切りでも大丈夫ですよ。」

「いい奴選んで行って!」

同じ内容であっても言葉一つで印象がまるで違うはずです。

ましてや、その魚は深海魚で あまり知られていない魚です。

置いておけば誰もが手にとって買う代物ではありません。

口下手で構わないのです。

ただ、手間を惜しむと相手に伝わっちゃうんですよとおじさんに対して心の中で呟きました。

「どうせ買うのなら、さっきの店員さんから買いたかったよ…。」

それが正直な気持ちでした。


私は昔、接客業を長くしていました。

そのせいで多少厳しい見方をするのかもしれませんが、職種に限らず仕事をする上で大切なのは その人の得意な事、良さを生かす事だと思うのですよね。


どうせ同じ仕事をするなら、の後に続くのが

「早く」「多く」「丁寧に」「気持ちよく」

と、色々な言葉=行動が当てはまると思うのですが、それこそが その人の

良さであり引いては“売り”になると思うのです。

そう言った事を考えないと

「あなたとを仕事したい。」と思われないし

「あなたは要らない」になったりもする。

今やかなりの仕事をAIにも取られちゃいそうな時代ですからね。

専業主婦の私が言うのもなんですが

私の売りを見つけないと、って思います。


そんな風に思いつつ スーパーを後にしました。


帰宅した息子は

「おぉっ。ソコダラ!」

と言い当て喜んで写真を撮っていました。

子供達の笑顔が見られて良いとします。(^。^)

後は調理です。一体どうしようかなぁ⁇


二本の手では足りないんです。

無事夏休みが終わりましたね。

今年は最後に土日もあって、少しだけお休みが長くなり得した〜❗️と喜ぶ我が家の子供達。

ようやく新学期が始まったと思っていたら二日目にして台風21号の到来

により休校になってしまいました。

おいおーーい❗️母は心の中で叫びましたね…。(T . T)


毎年夏休み明けの9月1、または始業式は子供の自殺が多いと聞きます。

とりわけ今年は夏休みの終わりにテレビや新聞でも“自殺防止キャンペーン”と題し、様々な記事や番組が見受けられました。

それだけ近年悲しいニュースが長い休みの後に多く起きていた事が伺えます。


いじめや人間関係で躓きがある子には、休息出来ていた長い休みが終わり また地獄の様な日常が始まる事に

深い絶望を感じてしまうのでしょう

本音を言えば、何かに脅かされている者には 長い休みであっても 心を囚われているものを忘れる事なんて出来ないと思います。

それでも 少しだけ“問題”と距離を置ける時間を持つ事は心に休息をもたらすのです。

夏休みが終わる。そしてまた、日常が始まる。


「終わりは、始まり。」

すごく怖いですよね。私は怖いです

大人であっても例えば会社内で辛い方が「仕事を辞めよう」と決断するまでに相当の覚悟と時間が必要なように、そこから逃げ出すのは簡単な事ではないでしょう。

ましてや学生さんなら尚更ですよね


以前図書館の職員の方が

「学校に行きたくないのなら図書館においで。」

SNSでメッセージを発信した事がありましたね。

世間ではその行動に大して賛否両論の意見が飛び交い 随分話題になりました。

「救われた」「逃げてどうする」

「ただの甘やかしだ」「良く言ってくれた」

私は そのメッセージをどちらかと言えば肯定的に受け取っている側なのですが、否定する側の意見にも どこか頷く自分がいるんですよね。


それでも命がなくなった後に 何を言おうが、何をしようが もう遅い。

それだけは事実です。


「逃げてもいいんだよ。」

本来は 身近な親が、教師が伝えてあげなければいけない大切な言葉を 

ネット上の見知らぬ誰かがかけてくれた。

それで切れかけていた糸がもし辛うじて繋がったのなら 本当に良かった

。これだけは言えます。



私は不甲斐ない親なので、自分の子供に大切な言葉を伝えてくれるのが母の私じゃなくても構わないと常々思っています。


もちろん出来得る限りは頑張るけれども、親の言うことが全て正しいとは思わないし、大切な事があなた達に伝わるなら 「それが誰か」は特に問題ではないとお母さんは思っている。

SNSでもいい、本でもいい。友達のお母さんでも、先生でも、小スポのコーチでもいい。


…と我が家の子供達には言っています。

都合良い、甘い言葉に対してではなく生きて行く上での指針の事です。


親の威厳〜とか、プライド〜とか

確かに私にも少しはあるのですけど

私は人の手を借りまくってでも 子供を育てようと思っています。

私の二本の手だけでは、子供三人の手を繋ぐには足りませんから❗️

ね。