…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

さよならお父さん

7月30日の夜、父が亡くなりました。

それは もう本当に突然の事でした。


その日の22時頃、私は子供たちと寝床にいました。末娘はすでに眠りについていましたが、上の二人は「何だか寝られない〜」なんて言って起きていた所でした。

スマホに珍しく姉からの着信が入ってきましたが、私は取りませんでした。 

気づいていたのに…取らなかったのです。

こんな夜遅くに電話で話していたら夫は不機嫌になるだろうな。

緊急の用事ならば固定電話にかかってくるだろうー。

そう思ったのです。

そしたら即座に固定電話にかかってきました。


あ…. これ、あかんやつだ。何かあったんだ。

すると、父が急に倒れて病院に運ばれたそうで 今 蘇生を試みて貰っているけれど、意識はなく 多分駄目らしいとの事でした。

姉も病院に向かう車中から連絡をしていると言う。


夫の勧めもあり、訳が分からないままタクシーで私も駆けつける事に。

その間 私は現実とは思えず ただ、ただ空を眺めながら

「…明日の りーさんのお弁当はどうしよう。作れるかな。ピーマンでも炒めようか。」

と ぼんやりと考えていました。


父は通院中の病気もあったけれど

命にかかわる病状ではなかったはずだ。

日中、草取りをした際に体調を崩したそうだから 熱中症になったのだろうか?

それならまだ… 助かるんじゃないの?

私は 取り乱す事もせず ただ、頭から父が危篤だと言う事実が締め出されたまま病院へと向かいました。



病院に着くと 母、姉、叔父叔母がいて 父が倒れた状況をぽつぽつと話していました。

「今朝まで元気だったんだよ。ご飯も ちゃんと食べてね…。」

「背中が痛いって言うから、ずっと摩っていたら 突然後ろに倒れて…。まさかこんな事に…。」

繰り返す言葉の最後は尻切れトンボで終わっていました。


私は こんな場所で 皆で話していていいの?お父さん一人にしていいの?お父さんにどうして会わせてくれないの?


状況が飲み込めない私は 疑問に思いながらも、話しだせる様子でもなかったので虚ろに話す母達の側でオロオロとするばかりでした。


私が想像していたのは、もう父の蘇生は難しいから 私と弟を待って 呼吸器を外す、そう思っていたのです。

だから まだ父は治療を施され生死を彷徨っていているのだと。

命は繋がれている筈だと。


「あの、お父さんに会いたいんだけど…。」遠慮がちに言うと 姉は思い出したように 遺体安置室に連れて行ってくれました。

私は思い違いをしていました。もう、父は意識が戻る事なく既に亡くなっていたのでした。


死因は心筋梗塞だそうです。

原因が分からないのでそうなったのですが、救急の方によると見た事がない程 心臓が破裂していたそうです。(蘇生中にレントゲンで分かったそうです。)

側についていた母の為に、救命士さんは懸命に長く蘇生を施してくれたそうです。でも、駄目だったと。


持病とは関係無く、家族も本人も

思いもよらない死因でした。

苦しかっただろう筈の父の表情は、

割と穏やかでした。

それだけが…娘としては救いでした。


思ってもみませんでした。

夫に両親と子供たちを会わせる事も嫌がられ、実家からの電話は固定電話を避けて いつもスマホでした。暴言を受けても我慢してくれた父です。

こんな40歳を越えた娘の騒動に巻き込まれ、親不孝真っ最中だったのに。


ごめんなさい。ごめんなさい。

子供達に会わせられなくてごめん。

生きている内に会わせられなくて

ごめんなさい。

謝罪の言葉は、空に居る父に届くのでしょうか。