…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

久々に私を妹にしてくれた夜道。

通夜の後、線香を絶やさない為に遺体に親族は付き添います。

それは大体が喪主以外の親族(比較的若い)が担うらしい。

実際は線香は長く持つもので交換は消えてしまった時だけだし、現在では  葬儀場にお願いして遺族が帰宅する場合もあります。

数年前の祖母の時も、叔父達はあっさり帰っていたし。

それを見て、寂しいものだなぁと思ったけれど、当時しーちゃんを身籠もっており 幼い子供もいた私は何も言いませんでした。

行動しない者に口出す権利はないですから。


母と弟は、夜通し父に付き添うつもりでいたようです。

もう今日で最後だし、父を一人にするのは忍びないと。

でも弟は喪主として大切な葬式を控えていますし、母も相当疲れている筈なので 二人には家で少しでも体を休めて欲しくて、私と姉で付き添いをする事にしました。

…と、言いましても特に何もする事もないんですけど。


母の姉達が遅がけに弔問に訪れてくれ 皆が引き上げたのが11時頃でした。

父の遺体はあるものの、控え室には お風呂も付いており、布団も頼んであったりで さながら合宿のようでした。

明日の朝食も含め何か買い出しに行こうかと、二人でコンビニに行く事に。

「お父さーん。ごめん、ちょっとコンビニ行ってくるわ〜。」

と、父に一応声をかけて。


夜の道を、二人だけで歩くのは多分20年以上振りでしょうか。 

姉が若くして結婚し、子供を産み。その後私も結婚し。


いつも母として振舞っていて、それが私の日常ですが 父を亡くした この数日が私を妹にしてくれました。

漫才のような掛け合い。

アイスティーを姉に奢って貰った事。(40歳を過ぎてるのに!(^_^;))

父や母の話に若干の悪口。

 

実は私はしばらく姉と連絡を絶っていたのです。

もちろん姉は仕事で普段から忙しい人でしたが、

私の夫が実家に押しかけ、私や子供達の発達障害宣言をしたり、父達への暴言、離婚を迫った話を母が 私が相談しやすいようにと(実際は自身が耐えきれずに)姉に話したのを知ったからでした。

本当はもう、数年にわたって色々な事があったのだけど 私は親にも、姉にも話しませんでした。

言えば、心配をするだろうから。

酷く心を痛めるだろうから。

分かっているからずっと、平気な振りをしていたのに。

大丈夫じゃない事を知られていての平気の振りは辛いものです…。

だから日常の忙しさを理由に、姉と連絡を絶っていたのでした。


姉は私の事情を知りつつ何も言いませんでした。

本当に一言も。私は生意気な妹のままでいられました。

深夜の道はただ、ただ楽しかったです。


コンビニから戻り、私がお風呂から出ると 姉は父の顔を覗き込んでいました。

涙ぐみながら、きっと父にお別れをしていたのだと思います。

何を話したのかは分かりません。


それでも、通夜でもなく 葬式の場でもなく あれが姉と父との二人だけの別れの時だったのだろうと私は思うのです。