…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

女の片方の手は「親」と繋がっている①

20代、30代と経て 40代に入り強く意識し始めた事は幾つかありますが、その中でも大きな問題が「これからの親について」でした。


「お母さんも歳とったよねぇ。」

なんて軽口を姉妹でたたきながらも 母親の年齢を改めて聞くと

「え!もうそんな歳だっけ?」なんて驚いたりして。

深層心理では、子供は 親も確実に歳を取ると言う事実を認めたくないものかもしれません。


老いる親の今後についての問題を、忘れてはいないけれど、あまりにも

重いテーマ故に、正面から取り組む勇気が持てず

ほっといている訳ではないんだ。

ただ、今はまだ考える時期ではないし、いつか何ともならない「その時」が来たら。

…と 敢えて考えないよう、私はスルーしてしまっているのですが、多分殆どの方も同じ気持ちだと思います。

それも 親たちが元気でいてくれているからこそ、与えられた猶予なのですけれど。


私の友人ミナちゃんは、40歳を過ぎた頃にお父さんの介護が始まりました。

介護は実家で行なっていたそうですが 食事に排泄、通院などのお世話に加えて 特に大変だったのが入浴の介助だったそうです。

お父さんは体の大きな方だった為 お母さん1人では大変だったらしく、休みの度に ミナちゃんは実家に帰り介護を手伝っていました。

半年も経つと、お母さん自身もストレスからか体を壊しかけたそうです。

独身だったミナちゃんは 悩み抜いた末に 仕事を辞め、一人暮らしを引き払い実家に帰らざるを得ませんでした。

気難しいお父さんの介護は ミナちゃんに相当の負担になってしまったようで彼女は 少し心を病んでしまう事になります。

「親と元々折り合いが悪くてね。離れてる位が丁度いいのよ、私たちは。」

以前ミナちゃんが話してくれた時  あぁ、うちも同じだなと思ったものです。


ミナちゃんにはお兄さんがいました。

実家近くにお住まいで 当時独身だったそうですが、お父さんの介護が

必要になった時 お兄さんはお世話を担う頭数には入れなかったそうです。

お母さんも、ミナちゃんも、お兄さん本人も考えなかったと。


休日は 買い物など、何らかの手伝いはしていたそうですが お世話は基本ノータッチ。

お母さんや妹に不調が表れても お兄さんがお世話を担う事はなかったそうです。

そもそもミナちゃんの様に仕事を辞める。生活を変えるなどは 選択の一つとしてすらあがらなかった。

未婚で 自活してと、妹と同じ境遇であってもです。

住んでいるのが地方であり、得る生涯年収の男女差などを考慮して、兄が金銭面を確保すると言う重大な役割を選んだのかもしれません。

経済的な問題が大きな理由だろうとは分かっていても 彼女も自分で人生を構築して来た自負も ちゃんと持っていた大人でした。

どうにも割り切れない思いがあった事でしょう。

それでも悩んだ末に 結局お母さんを助けるのは自分が家に戻るしかいないと、彼女は決断はしたのです。


数年後 お父さんは亡くなったそうです。

それから ミナちゃんは再就職の為

色々と仕事を探し始めたのですが 年齢的にも大変難しいとこぼしていました。

病んでしまった心身を整えながら 今

派遣社員として働いていますと年賀状に書いてありました。

50歳を過ぎ、気付くと仕事も 自分の生活も手放してしまった。

お父さんを看取ったけれど、母もいる。これから、私はどう生きていくのだろう。

ーそれに似た思いや不安を 今ミナちゃんは抱いているのだろうな。

年賀状を見つめながら私は思いました。


彼女の選択が正しかったのか、などと言う話ではありません。

お兄さんにも事情があったのだろうし、詳しく内情を知らない、他人の私がある御家庭の事をとやかく言う必要もないです。


それに、これは全くの私の想像ですが、彼女も幾ばくかの後悔を残しながらも「父を看取った」と子供としての責任を果たしたと考えると、折り合いの悪かった父との関係に 自分なりの落としどころを見つけられたのではないか。

そうも思えるのかな、と。

(実際は こんな面倒な考えで介護してる訳ないだろうけど…)


それよりも  ただ、私が率直に思ったのは 

「家族の問題は、殆ど女が回すよな。」だったのです。

本当に一般的な慣習として「担い手の大半が女性」と言う事実でした。

友人の場合、同じ境遇の兄妹だったとしても やはり同じだったと言う事。


そして  それに対し、なんでこう言った役回りは女が多いのか⁇ 同じ家族というなら(建前でも)男ってならないのかな?と反発しつつも

「私も そうするだろうな…。」

と 馬鹿みたいに、当たり前に思っている、そういう不思議さでした。