…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

100通りの1に入っているのかな。

長女りーさんの体育大会に行ってきました。

丸一日外にいて、日を浴びていただけなのに、何この疲れ…。

四十代の水分は もはやこの程度でも干上がってしまう(~_~;)


娘は お休みする友達の種目まで出場するよう頼まれており 頑張っていました。

リレーにも出たのですが、走り終えた後に 仲良しの子と抱き合って喜んでいるのを見て

「楽しそうだなぁ。友達とも上手くやっているんだなぁ。」

と、順位よりも その様子が分かった方が嬉しかったです。


保護者の席は(日除けなし!)種目が変わる度や写真撮影の為やらで、入れ替わり立ち替わりしています。

その度に挨拶を交わし、軽くお話をしたりと結構忙しい。

仲良しママ、ご近所さんママ、地域でお世話になっているママ、顔見知りのママ…( 男性もいたけど。)

と、私と関わりを持っている人達だけでも沢山います。


そして、それ以上に知らない保護者

の方が多くいらっしゃるのでした。

娘の種目が済んで、周囲のママさん達が写真撮影に移動した後、ふと一人になった時間がありました。

ぼんやり周りを見渡すと たくさんのママさん達がグランドを見つめています。


年齢も 皆さんまちまちです。ベビーカーを引いている方もいれば、幼児を遊ばせながら観覧している方もいらっしゃいます。

学生さんとおぼしき兄弟と連れ立って応援していたり、お祖父さん、お祖母さんの車椅子を押している方もいる。

共通しているのは、中学生の子供を持つ母だろうって事だけです。


「100人いれば100通りの人生がある

」とよく言いますが それなら、私もその一つに入るのかな?と思いました。

そして何故か、その時

「いや、入ってないな…」と思ったのです。


目の前の人達は年齢だけでなく、化粧も服装も誰として同じ人はいません。

そこには規制がある訳でもないので、きっとその人が自分にとって「良い」と思った物を選び「 自分」として表現しているのでしょう。


じゃあ私は?

私は… 今の私は、自分って言えるの

かな。

化粧や服装だけの事じゃありません

。私が選んだんだ、と言う覚悟もなく ただ苦しい思いをしているのは何でだろう。

隣の芝は青いと言うことわざ通り、

他の方も きっと皆 踏ん張って毎日を送っているだろうと思うのに 。


100の内の一人に入っていないと思ったのは、私が私の思うように生きていないと感じたからです。


「思い通り」ではなく、思うように。

幼い頃から人から外れやすくて、大人になり時間をかけて、ようやく「それでもいいや」と思えるようになったのに また「それでは駄目だ」と枠に押し込められる。


そんなに「普通」って大事?


目の前にいる人達は みんな それぞれ違うのになぁ。

私は子供にも 同じような事を求めたり、強いたりしたくないな。

だって、それはこんなに苦しい。


そんな風にぼんやりと思っていました。


でも 他人が敷いた「母親たる者」的なレールを歩くのも、また自由。誰も悪いとも言っていないのだよね。

そうも思いました。


だったら

自信なんか特別持ってなくても、誰かに認められなくても、私は私を「結構悪くないんじゃない?」って思える自分の方がいいな。


陽に焼かれながら 私はグランドを見つめてそう思いました