…時々、晴れ雨。

グレーな私と子供たちを取り巻く日々を。

子供と私 = 母と私。

普段は子供達の母親をしている私ですが、同時に娘でもあります。

父は昨年亡くなりましたが、母が存命していますので 今尚「娘」続行中なわけです。


片道1時間程に住んでいる、母と私は

仲は悪くないけのだけど「気が合わない」と言う間柄で、それでも 互いの心配をしている…

ちょっと関係が歪で複雑なんです。

長時間一緒にいると段々言い争いになって行くって言うね。


私は幼い頃から反抗的で、育てにくい子供でした。

中2の長女は自他と共に認める

《割と面倒くさいタイプ》の性格なのですが、それをもーーっとキツくしたのが 子供時代の私。


なんと言いますか 根性の入った面倒くささ?

思い込んだら意地でも テコでも動かない、みたいな頑固さを持っていました。

今から思いますと、発達障がいの絡んだ こだわりの特性がそうさせていたのかもしれませんが 

原因がそこにあったのかどうかは

本当に今更なので どちらでもいいかな(^_^;)


私の実家は自営業で、父親の親族一同と母はそこで働いていました。

 

地元で家業を営んでおり人目に付きやすい事、また嫁としての立場もあってか

“世間に恥ずかしい真似はするな、

親が笑われる。”

と 私達きょうだいはそう強く言われて育ちました。

学歴よりも世間体を重んじるのはそんな理由からだったのでしょう。


朝から晩まで父方の親族と共に働く若い母にとって、

仕事や家事などをこなしながら

私を含む子供3人の子育ては本当に大変だったと思います。

全くと言うほど父は手伝いませんでしたからね〜。

(お茶一杯も淹れなかったなぁ(-。-;) )


そんな忙しい毎日を送る母が

「子供はなるべく手のかからない普通〜の子であって欲しい…」

と望むのは当然な気がする。


それが少子化の現在とは違い、子供がうじゃうじゃと多くいた時代に 

「みんなが当たり前に出来る事が出来ない」

「誰も気にも留めない事が気になる」

を世間では人とズレていとし、人と「違う」とされていました。

そう、私は人と少しズレている ちょっと変わった子供だったのです。


ですが、見た目では分からず ちょっとした違和感を抱く位なので特別問題にはならないのです。


思った事をストレートに口にする。

頻繁に物を忘れる。

間違いが多い。

突飛な発言をする。


 …などなど そんな子は私の子供時代には クラスに数人はいましたから、先生も 「注意が必要な子供」

くらいの認識であったと思います。


注意が必要と簡単に書きましたが

子供を見守るのには、親には相当の時間と労力と忍耐力が必要とされます。

忙しい母には きっとそれが物理的にも難しかったんでしょうね。


問題行動の原因を

「私の性格や気質なんだ」と多分考えていたんだと思います。

だから言えば治るはず。あなたのためを思って!

と、躾や小言はすさまじくなっていったのです。


私の母は強く、愛情深い人でしたが

父の地元で 親戚に囲まれて暮らす日常の中で悪目立ちする事を避け、世

間体を気にする事が 生き抜くための

処世術だったのだと思います。


それは子供に関しても同じで 

特に何かに秀でているよりも、人並みに 後ろ指をさされない子供に育て上げる事を最優先事項にしていたのでしょう。


その上 時代は個性を尊重する教育よりも少し前。

学校でもみんな同じを大前提として教育されていた中で

他の子達からずれ、不器用に立ち振る舞う私を

「何であの子は」って

母は大変歯がゆい思いで見ていたんだろうな…。

 

その後 私は何度母に言われても

変わらない(変われない?)まま成長し

て行きました。

社会に出て、ようやく 自分と母には少し距離が必要な親子だったんだ❗️

と気付く事が出来ました。

親の求める「普通・人並み」から

自分はズレてもいいやと決めたのです。


ところが 娘であった私が母になった今…。


時折思いだすのは、ある意味 過ぎ去ったはずの私の子供としての感覚です。


当時の母の事情や心情を理解しつつ

母が優先したかったのは自分の都合じゃないのか?

そして、それを嫌ってきたはずの自分も同じ事をしているのじゃないのか??

ようやく抜け出した薮に また足を捕られているみたいです…。


子供たちの後ろには、いつも母と私の関係がボンヤリと透けて見えるよう。


親子って本当に難しいです。